岩手のニュース

<台風10号>楽ん楽ん犠牲9人全員身元判明

「楽ん楽ん」に設置された時計は午後7時46分を指したまま止まっていた

 岩手県岩泉町乙茂の高齢者グループホーム「楽(ら)ん楽(ら)ん」で見つかった9遺体全員の身元が3日、判明した。地域に慕われながら生きた77〜95歳。その歩みを振り返った家族や友人らは、深い悲しみを抱きながら故人の冥福を祈った。

◎おしゃべり好き/佐々木悦子さん

 佐々木悦子さん(88)は岩泉町岩泉の菓子店の3女として生まれた。開業医だった夫との間に2男1女をもうけた。朗らかでおしゃべり好き。よく冗談を言って周囲を笑わせた。
 今年7月末、ひ孫が誕生した。いとおしそうに抱き上げ、「かわいいねえ」と喜んでいたという。佐々木さんの孫の滋子さん(32)は「亡くなったのは自然災害なので仕方ない。施設の職員は本当に思いやりを持って接してくれたし、最後まで守ろうとしてくれた。感謝しかない」と話した。

◎アユ釣りの名人/千葉繁喜さん

 「本当に穏やかな人だった。争いを好まない性格だった」。千葉繁喜さん(77)をよく知る親戚の農業男性(56)はうなだれた。
 川釣りの名人としても知られ、小本川でアユを釣るのが趣味だったという。その川が豪雨で氾濫し、濁流に命を奪われてしまった。
 被災直後、千葉さんの安否情報は二転三転したという。最悪の結果に男性は「言葉にならない。あんなに良い人が亡くなるなんてショックだ。私も自宅が被災し、二重三重の苦しみ」と沈痛な面持ちで語った。

◎孫に太鼓教える/中屋敷チエさん

 野田村出身の中屋敷チエさん(85)は岩泉町安家(あっか)で暮らし、3男1女を育てた。数年前に「ふれんどりー岩泉」に入所。今年7月、隣の「楽ん楽ん」で生活を始めた。
 三男の娘の捺実さん(9)をかわいがった。得意の太鼓を教えたり、7月末の施設のイベントで一緒に花火を楽しんだりした。
 捺実さんの母明子さん(47)は「今も亡くなってしまったという実感が湧かない。昨年、他界したおじいさんと2人で安らかに眠ってください」と涙ぐんだ。

◎率先して力仕事/畑中ソメさん

 畑中ソメさん(82)は入所前、岩泉町門の建設会社「畑中組」に勤務していた。同社社長でおいの畑中善四郎さん(67)は「記憶ははっきりしていて元気だった。まだまだ人生を楽しめたはず」と肩を落とした。
 ソメさんは事務所の清掃などを担当していたが、男性従業員がするような力仕事にも率先して取り組んだ。善四郎さんは「朝から晩まで一生懸命働いてくれ、従業員として信頼を置いていた。人当たりもよく、非の打ちどころがない人だった」と振り返った。

◎母の日 花束に涙/曲沢アサヱさん

 曲沢アサヱさん(84)は4日、岩手県紫波町に住む長男の政春さん(58)と20日ぶりに「楽ん楽ん」で会うはずだった。政春さんは「あまり話さないが、いつも笑顔だった。母にとって入所は良かった」と振り返る。
 政春さんは6月、施設であった「父の日、母の日会」に参加し、ゲームや合唱を楽しんだ。最後に花束を手渡すと、アサヱさんは涙を流して喜んだ。「本当に残念だが、台風被害は事故といえば事故。そう思えば諦めがつく」と静かに語った。

◎民宿を切り盛り/三浦敦子さん

 三浦敦子さん(79)は以前、海岸近くにあった「三浦民宿」を切り盛りしていた。海釣りを楽しむ宿泊客でにぎわった。おかみとして得意だった料理の腕を振るったという。
 自宅は東日本大震災の津波で被災したが、入院中で難を逃れた。その後、「楽ん楽ん」に入所した。震災前まで近所付き合いがあった女性は「優しくてきれいな方でした。こんな形で亡くなるとは思いもよらなかった」と落胆した。2日には親族らが集まり、宮古市の斎場で通夜が営まれた。

◎すてきな「先生」/八重樫チヤさん

 かつて小学校の教員だった八重樫チヤさん(95)は、近所の住民から「先生」と呼ばれ慕われていた。約40年の付き合いになる佐々木ヨシさん(79)は「先生は面倒見が良かった。にこっとした笑顔が印象的で、すてきな方でした」と思い起こす。
 町内のコーラスグループに所属し、週1回の練習を欠かさなかった。担当はアルト。一緒に活動していた佐々木さんは「伸びやかな歌声で上手でした。もっと元気でいてほしいと思っていたのに」と悲しんだ。

◎元気に畑で作業/浦場トワさん

 「たくさん冗談を言って笑わせてくれました」。浦場トワさん(94)の自宅近くに住む岩泉町袰綿(ほろわた)の無職中野磯子さん(76)は、2人で歩いた散歩道を思い出し、うつむいた。
 知り合ったのは50年ほど前。あいさつを交わすうちに仲良しになり、近くの熊野神社までおしゃべりをしながらよく散歩した。
 「私は早くに腰が曲がってしまったけど、トワさんは畑作業をしていて元気そうでした。笑顔を絶やさない本当に良い人でした」と帰らぬ人をしのんだ。

◎寡黙な家族思い/沢田繁雄さん

 大工だった沢田繁雄さん(79)は現役時代、1年の大半を出稼ぎ先の北海道で過ごした。亡くした妻との間に4人の子どもをもうけ、一家の大黒柱として身を粉にして働いた。
 沢田さん宅の近くに住む主婦近藤静子さん(75)は「シャイで口には出さないけれども、家族思いの人だった」と振り返る。
 今春、かかりつけの病院で沢田さんを偶然見掛けた。「若返ったように元気そうで、施設生活が充実しているのかなと思った。こんな形の別れになり残念です」と惜しんだ。


関連ページ: 岩手 社会

2016年09月04日日曜日


先頭に戻る