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<仙台いやすこ歩き>(42)おはぎ/ほのかな香り秋の口福

 「みぃさん、おはぎとぼた餅って同じらしいですよ」と画伯。昔から仙台では「おはぎ」が普通だった気もするし、田舎のおばあちゃんは「ぼた餅」と言っていたような気もするし…。真偽を探るべく、というのは建前で、おはぎを食さんといさんでまちに出掛けた。
 仙台東照宮の門前町である青葉区宮町に、エンドー餅店を訪ねた。ガラス戸を開ければ、おはぎ、だんご、づんだ餅、大福、がんづき、おこわ…と並び、もう顔がほころんでくる。
 ショーケースの後方には、餅作りに立ち働く職人さんたちの気配。お客さんも続々。ご近所さんからタクシーで乗り付ける若き観光客まで、老若男女を問わない。代表取締役の細谷ひろみさん(58)は「最近はインターネットの影響もあって、九州や北海道からもいらっしゃいますね」とにこやかに話す。
 「作っているところ、見ませんか」と願ったりの言葉に、厨房(ちゅうぼう)へ。工場長を務める若き和菓子職人、鈴木宣明さん(34)が、おはぎ作りの最後の工程を見せてくれた。
 あんを円盤状に整え、その上に載せたもち米を指でつぶしながら、あんでくるりと包み込んでいく。全ては鈴木さんの手のひらの上の、あっという間の出来事。5、6秒といったところだろうか。
 「これが半殺しなんです」と鈴木さん。「えぇーっ!」「その手でつぶしているのが半殺し?」。いやすこ2人は驚き極まって、何か楽しくなってくる。
 エンドー餅店のおはぎは、つぶあん、こしあん、ごま、づんだ、そして白インゲンを材料とした白あんの5色。68年前の創業当初からの商品で、アイデアマンだった初代が「五色おはぎ」にしたそう。「昔はジャンボサイズだったんですよ」
 大きさは変わっても、材料の吟味と手作り、つきたての餅をその日のうちにという心は変わらない。もち米は石巻産「みやこがね」。づんだは栗原市の契約農場の枝豆など宮城県内産が主、そして減農薬・減化学肥料への思い入れもある。
 若き職人の手で半殺しにされたおはぎは本当にかわいらしく、ふわっとしたぬくもりさえ感じられ、食べるのがもったいないようだ。受け皿にまず一つ。ようじですっと切った時の、手に伝わる滑らかな感触。そして口元まで来た時のほのかな香り。口に入れれば程よい歯応えで、あんと共にほろりと溶けていく。もう一つ、もう一つ…。秋の始まりの口福を心行くまで楽しむいやすこである。
 ところで、おはぎとぼた餅という呼び名について鈴木さんに聞いてみた。本来は同じ物で、つぶあんの皮の点々がハギの花が咲く様に似ているから「萩(はぎ)の餅」と呼ばれ、「おはぎ」に。一方、ぼってりした形がボタンの花のようだから「牡丹餅(ぼたもち)」に。さらには春彼岸と秋彼岸の、それぞれの季節の花にちなんで呼んだなど、同じ物なのに名前が違う理由は諸説あるそうだ。
 念のため、一番売れる時季はと尋ねると、「お彼岸ですね」と細谷さんがにっこり。ミヤギノハギやセンダイハギが揺れる9月、おはぎがよく似合う季節であり、土地でもある。

◎おぼえがき/赤色 災厄払い福もたらす

 おはぎは、もち米とうるち米を混ぜて(またはもち米だけを)蒸し、あるいは炊き、軽くついて丸めたものにあんをまぶした食べ物。米を半分つぶすことから、「半殺し」と呼ばれることもある。臼でつかないため隣家が気付かないうちにおはぎができることから、江戸時代には「隣知らず」という別名もあった。
 彼岸には欠かせないおはぎ。彼岸とおはぎが結び付いた理由としては、小豆の赤い色が災厄を払い福をもたらすという考え方と、先祖供養の思いがつながったからなど、諸説ある。
 江戸時代後期には、彼岸に配る風習があったらしい。文政7(1824)年〜嘉永元(1848)年に書かれた「馬琴日記」や「守貞謾稿(もりさだまんこう)」にその記述が見られる。夏の土用には、夏バテ予防にウナギを食べるのがいいといわれるが、甘いもので精を付けようという暑気払いの「土用餅」なる菓子もある。おはぎのような小豆あんのあんころ餅で、「土用ぼた餅」とも呼ばれる。
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2016年09月05日月曜日


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