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<宮城豪雨1年>我慢いつまで 公助切望

浸水した家屋から家財を運び出す住人=2015年9月14日、栗原市築館

 栗駒山麓に位置し、勾配が緩やかな平野部を迫三川(さんせん)と呼ばれる迫川、二迫川、三迫川が流れる宮城県栗原市は洪水の常襲地帯だ。治水工事が長年にわたり行われているが、昨年9月の宮城豪雨では二迫川などで堤防が決壊し、床上浸水が相次ぐなど大きな被害に見舞われた。迫川流域の治水事業の今後と市民の備えを取材した。(若柳支局・横山寛、栗原支局・土屋聡史)

◎栗原の治水(下)限界

<「避けられない」>
 刈り取りを待つ稲穂がこうべを垂れる。栗原市を貫く迫川と登米市などを流れる旧迫川の流域。県の農地全体の4分の1を占める穀倉地帯だ。その豊かな土壌は、長い水害の歴史の上に成り立っている。
 「かつて県内の北上川流域や迫川下流部は海の入り江だった。繰り返される大規模洪水で土砂が積もり、保水力が高い現在の平野部が形成された」。東北学院大の松本秀明教授(地形学)が解説する。
 迫川、二迫川、三迫川で成る迫三川(さんせん)が合流する一帯の標高は10メートル前後と低く、勾配は緩やか。松本教授は「過去の自然メカニズムから見ても、この地域は水害を避けて通れない」と言い切る。
 二迫川流域の栗原市築館沖富では、住民がその事実と向き合いながら代々農業を営んできた。水害は一度や二度ではない。昨年9月の宮城豪雨でも住宅や作業小屋など約20戸が浸水した。

<行政の返事曖昧>
 沖富地区で生まれ育った農業高橋明男さん(76)は、作業小屋と新築間もない自宅がともに浸水。幼少期にカスリン、アイオンと二つの台風を経験し、2002年には洪水で近くの堤防が決壊して自宅と小屋が被災した。「水に追い掛けられる人生だ」と皮肉る。
 これまで行政側に何度も堤防整備を要望したが、曖昧な返事ばかり。上流の沖富地区を先に整備すると下流の被害が増大することも分かっているが、納得できない。代々引き継いだ土地をやすやすと離れる訳にもいかない。
 高橋さんは「この地域は良く言えば覚悟、悪く言えば諦めを持って水と向き合っている。ただ行政がそれにあぐらをかいていないか。我慢も限界だ」と話す。

<ソフト対策に力>
 一方、市の担当者は公助の限界を口にする。県の治水工事は下流から上流に進めるのが原則なのに加え、ハード整備を巡る要望はどの地域も多い。優先順位を付けながら時間をかけて進めるしかない。
 代わりに市はソフト対策に力を入れる。避難所や経路などを示すスマートフォン向けの防災アプリを年度内に開発。危険水域の川の様子を見に来る人がいることを踏まえ、各行政区に誘導用のコーン標識も配る。
 佐藤喜久男危機管理監は「できることとできないことがあるのが実情。流域の人たちには足りない部分を話し合いながら、自助の精神を磨いてもらいたい」と理解を求める。
 我慢の限界と公助の限界がぶつかる豪雨対応。住民と行政の模索は続く。


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2016年09月07日水曜日


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