山形のニュース

<山形の原発避難者>夫亡くし孤独な日々

吾妻連峰の向こうは濱田さんのふるさと、福島。「もう、あそこには戻れないのでしょうね…」

◎そして、これから(2)残されて

 「なんで1人になったんだろう…」
 ここ1年、折に触れてそう考える。「1人って、本当に孤独。誰も頼る人がいない。寂しいものね…」
 米沢市で暮らす濱田和子さん(68)は2013年の夏、夫を亡くした。享年71歳。借り上げ住宅での避難生活が2年目となるころだった。その3か月前に亡くなった支援者宅を2人で焼香に訪れた際、玄関先で心不全に襲われた。
 大腸がんを患っていた。療養のため濱田さんの実家がある南相馬市に仙台市から移住した。その4か月後、東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた。常に夫の体調を気遣う避難生活。濱田さん自身も十数年来、高血圧に悩まされてきた。慣れない土地で互いにいたわり、ほそぼそと年金暮らしを続けていた。

<高齢の身案じる>
 「山形に来る前に手術をして、状態も悪くなかったから治ると思っていた」。楽観的だった濱田さんに寡黙な夫は何度かこう話していた。「早く新しい家を探しなさい」
 「南相馬に戻ることはもう諦めていた。借り上げ住宅にいる負い目があったのでしょう。でも、そんな余裕、どこにもなかった…」
 親友と呼べる人が新しい環境にはいない。夫を亡くしてからは声が掛かればお茶会など集まりにできるだけ参加している。だが、豪雪地帯の冬場は家にこもりがちになってしまう。
 「これからを考えなくちゃいけないんだけど、考えれば昔を思い出して涙があふれてきちゃう…」。2人の娘は首都圏に住む。親類兄弟に身を寄せることはできない。独り身となり、高齢の自分を案じる。

<遺品捨てられず>
 3DKの住まいには、今でも夫の持ち物が残されている。来客用にと小まめに取りそろえておいた品々が部屋のスペースを占めている。この夏、3年ぶりに家族で遊びに来た長女に言われた。「1人なんだからこんなに物が必要ないでしょ。早く捨てなさい」
 わびしさばかりが募る。長女には既にまとまったお金を手渡している。自分に万が一のことが起きた場合に必要なお金として。「子どもたちには迷惑を掛けたくないの」。うっすらと涙をためた視線は、どこか遠くを見詰めている。
 「恐らくここがついのすみかになるんでしょう。でもね、『どうして?』って思っちゃうの。どうしても。だって、あの事故さえなければ…」
 やるせない思いが消えることはない。

●話を聞くだけでも
<ボランティア山形の元理事石田光子さん(78)の話>
 私も昨年11月に夫を亡くし、今でも喪失感がある。家族を失った人の痛みは当事者でなければ分からないけど、心の支えが必要。まして、避難者の場合、ふるさとから離れている寂しさも強い。避難者が集うお茶会を主宰していて、付かず離れずの姿勢で寄り添うようにしている。そっと耳を傾け、話を聞いてあげるだけで安心するものです。
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災から11日で5年半になる。東京電力福島第1原発事故では、多数の福島県民が避難生活を余儀なくされた。隣接する山形県では、今なお2778人(1日現在)の避難者が暮らし、家族、親族らと離れ離れの生活を送っている人たちもいる。福島県は自主避難者の住宅無償提供を2017年3月で打ち切る方針を示し、多くの家族が岐路に立つ。生活の「これから」を見詰める当事者たちの思いは複雑に入り乱れている。(米沢支局・相原研也、山形総局・阿部萌、福島総局・高橋一樹)


2016年09月07日水曜日


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