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<加藤紘一氏死去>保守本流 地方から問う

「加藤の乱」が失敗に終わり、同僚議員に囲まれ涙ぐむ加藤氏=2000年11月20日、東京都内

 【評伝】保守本流とは何か−。9日亡くなった元自民党幹事長加藤紘一さんは、いっとき本命視されていた首相の座に就くことはかなわなかったが、この国の在り方を地方からリベラルな視点で考え続けた政治家だった。
 宮沢喜一内閣で官房長官を務めていた1992年、番記者として接した。元外務官僚の2世議員。所属する派閥では「宏池会のプリンス」と嘱望されていた。官房長官は首相の懐刀であると同時に、内閣のスポークスマンの役割を担う。毎日2度の定例記者会見のほかに随時、懇談があった。
 だが、これが決まって記者泣かせだった。政局の見通しを尋ねると、数秒間の沈黙があって結局は一般論に。政策論に話を振っても「それは○○省に聞いてください」と取り付く島もない。記者仲間で付いたあだ名は「ブリキ」。肝心な情報は鉄板に囲い込み、決して漏らそうとしなかった。
 「慎重居士」の見本のような加藤さんが勇躍決起し、政局の主人公に躍り出たのが2000年11月の「加藤の乱」だった。野党が提出する森喜朗内閣に対する不信任決議案に同調しようとしたが、自民党執行部の切り崩しに遭い失敗に終わった。側近の谷垣禎一さん(前自民党幹事長)が「加藤先生は大将なんだから」と慰留し、加藤さんが涙をにじませるシーンがテレビ中継された。
 「プリンス」の称号は、一夜にしてひ弱な「敗残者」に評価を下げた。これを境に宏池会の分裂、元秘書による脱税事件を受けての議員辞職−と、無(ぶ)聊(りょう)を慰める日々を刻むことになる。
 06年だったと思う。政界復帰を果たした加藤さんに山形市で再会した。「最近は地元(庄内地方)を回るのが楽しくてね」。意外だった。かつて「総理に一番近い男」と言われた大立者の表情から険が消え、軽口も飛び出した。実は浪人中、加藤さんの中で「保守とは何か」という命題を地域社会から解き明かそうとする心境の変化が起きていた。
 加藤さんは著書『劇場政治の誤算』(09年)で、こう書いている。「政治家の使命は地元に行って国政を論ずるのではなく、国政に向けて『聞く』ことなのです」。一度外した議員バッジを、再度「集音マイク」(加藤さん)として作動させることで「保守本流」を再定義しようとしていたのだ。集団的自衛権の行使や原発の再稼働問題などを巡って世論が二分されている今こそ、加藤さんが言う「聞く力」が求められているのではないか。
 官房長官時代、米国の銃乱射事件が懇談の話題になったことがあった。「ガン(銃)とドラッグ(薬物)は社会をむしばむ」と加藤さん。ここでも関心は国ではなくコミュニティーだった。執務室で、山形県鶴岡名産「だだちゃ豆」を番記者に振る舞う加藤さんの得意顔をいま思い出している。(編集局長・鈴木素雄)


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2016年09月11日日曜日


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