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<被災者いまだ癒えず>悲しみを語る場必要

大津波で流された浜の集落。多くの被災者の心の底で、あの日はまだ終わることなく続いている=2011年3月下旬、福島県相馬市尾浜

 福島県相馬市の「メンタルクリニックなごみ」院長を務める蟻塚亮二医師(69)が、東日本大震災、東京電力福島第1原子力発電所事故に由来するとみられる多様な心の病の広がりに気付いたのは、2013年4月の赴任から間もないころだ。

◎震災5年半 精神科医蟻塚亮二さんが診た心の傷(下)生き直しの支援

<沖縄戦に重なる>
 「前任地、沖縄県での診療経験が生きた。1945年の沖縄戦=?=の悲惨な記憶が原因となったPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ人々の症状が、『なごみ』で出会った被災者の話に驚くほど重なった」
 沖縄での患者に酪農家の男性がいた。長年の仕事を息子に譲り悠々自適を考えた途端、60年以上前の沖縄戦で「はらわたを出して死んだ妹や日本兵に斬殺された住民の姿が生々しく頭に浮かんできた」と訴えた。
 ある女性は、本土で働いていた息子が急死した後、不眠、うつに襲われ、原因不明のまま車いす生活になった。夜には、沖縄戦で戦場を逃げた時の遺体の臭い、幻視幻聴に悩まされた。
 いずれも戦後の沖縄で懸命に生きてきた人々にぶり返した、60年以上も前の戦争体験の心の傷だった。「同じような訴えを、原発事故で避難した南相馬市の女性から聴いた」と蟻塚医師。
 太平洋戦争末期の45年8月9、10日、原町陸軍飛行場が空襲を受けた。「米軍機の機銃掃射の中を父親に背負われて逃げた。あの恐怖が、原発事故から避難する刹那(せつな)に襲ってきた」という。
 「津波や原発事故の苦難を体験し、古里の家や身内を失い、近しい人と離れ、仮設住宅や異郷で暮らす人たちは難民のように、抱えた悲しみを語れずにいる。聴いてくれる人もおらず、傷口はいつまでも開いたままだ。心の災害は終わっていない」と蟻塚医師は話す。

<自ら回復へ歩む>
 生死を懸けた避難時に夫との亀裂を深めて離婚した女性、苦しさを募らせ「死にたい」とリストカットを繰り返した女性もいた。4月に熊本地震が起きた際には、テレビ報道で体調を崩した通院者が多く、「つらい思いをする避難所に、被災者を入れるのはもうやめて」と訴える人もいた。
 「自分の思いをしゃべっていいんだ、悲しみに向き合って悲しんでいいんだ、という場があることで傷は癒やされる。診療所だけでなくどこでも、被災した人々の周りに『語るあなたと聴く私』という関係をこれから育てることが大事だ」
 苦しみを乗り越えて生きてきた時間が肯定され、それだけで「すごいことを成し遂げた勝者」と尊敬を込めて認められることで、過去と「いま」の溝は少しずつ埋められていくという。
 「『あんた、きょうはいい顔をしてるね』。こう声を掛けると、通院してきた人の顔がぱっと明るくなる。いまを生きようとする力を取り戻す時、誰でも自ら回復への道を歩み出せる」

[沖縄戦]太平洋戦争末期の1945年3〜6月、沖縄に上陸した米軍と日本軍が戦い、日本側で約20万人が犠牲になった。砲火に追われる中で住民の集団自決や日本兵による殺害も起こり、全住民の4人に1人が亡くなった。戦闘終結の6月23日が「慰霊の日」。
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 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故被災地の精神医療支援の場として、福島県相馬市で2012年1月に開業した「メンタルクリニックなごみ」。現院長の蟻塚亮二医師(69)は、不眠や不可解な体の痛み、幻視幻聴といった受診者たちの苦しみを知り、震災時の過酷な体験の影響とみて診療を続けている。震災後5年半のいまも被災者の心の傷が癒えない現実を、このほど「3.11と心の災害」(大月書店・共著)にまとめた蟻塚医師に聞いた。(編集委員・寺島英弥)


2016年09月11日日曜日


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