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<私の復興>恩返し 新住民つなぐ

「高齢者は食事の支度もままならないだろうから」。近所に届けるポテトサラダを作る小島さん=宮城県山元町

◎震災5年半〜宮城県山元町・手作り総菜配る元料理人 小島光義さん

 自家製のマヨネーズであえたポテトサラダは、優しい味がする。
 東日本大震災の集団移転先として整備された宮城県山元町のつばめの杜地区。小島光義(てるよし)さん(79)が、ご近所に手作りの総菜を配る。
 「良かったら食べて」。良く通る声が響く。災害公営住宅に1人で暮らす女性(88)が「いつもありがとう」とほほ笑む。
 「この街にはお年寄りや体の不自由な人が多い。喜んでもらえるならうれしいじゃない」。かつて仙台市内で弁当店を営んでいた元料理人は、照れくさそうに頭をかく。

 町内のJR常磐線旧山下駅前の土地を購入したのは、30年以上も前のこと。生まれは東京で、山元にゆかりはなかった。
 温暖な気候と交通の便の良さが気に入り、60歳で仙台の店を閉めて引っ越した。気の合う仲間に恵まれ、妻絹子さん(82)と第二の人生を満喫していたところを津波に襲われた。
 季節の花が咲く庭、住み慣れたわが家、半生をかたどる思い出の品々−。暮らしを彩る全てを失った。敷地内の貸家も流され、生活資金に充てていた家賃収入が途絶えた。
 失意の時を支えたのは、全国から寄せられた厚意だった。支援物資や義援金、ボランティアとの出会い。「涙が出るほどありがたかった」
 人とのつながりに励まされ、勇気づけられた。感謝はいつしか誓いに変わる。「これから先は恩返しの人生だ」

 つばめの杜の災害公営住宅に入居して3年。周りではいまだ被災から立ち上がれずにいる人が少なくない。コミュニティーになじめず、一日中、部屋にこもりっきりの高齢者もいる。
 自分にできることがあるならと、自治組織の役員を引き受けた。約270世帯の一人一人に目を配り、声を掛ける。
 月に1、2回、数十食分の料理を差し入れる。病院や買い物の送り迎え、雪かき、簡単な修繕も。困っている住民を夫婦で手助けする。隣町の農家が野菜を提供するなど協力の輪は広がる。
 「みんな楽しく過ごせるといい。被災した人に、生きていて良かったと感じてもらえれば」。この街では誰も孤立させない。強い思いを抱く。
 蓄えを取り崩しながらの生活を屈託なく笑い飛ばす。「先のことは考えたって仕方がない。ま、どうにかなるさ」
 あの日から5年半。想像もしなかった今を歩み、80歳を迎える。細く長く、身の丈に合った活動を続けていこう。老け込んではいられない。(伊東由紀子)

●私の復興度・・・90%
 つばめの杜地区はスーパーや学校、JR常磐線の新山下駅など整備が進み、街の姿が整いつつある。高齢者が多いので近くに内科の病院があれば、より安心して暮らせるだろう。自分は災害公営住宅で落ち着いた生活を取り戻したが、ほかの新市街地は整備途上。山元町全体の復興の遅れが気掛かりだ。


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2016年09月13日火曜日


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