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<加藤紘一氏死去>「政策通」政界に哀悼の声

2012年衆院選で落選し、政界からの引退を正式に表明する加藤氏。左は妻愛子さん=13年4月、鶴岡市

 自民党幹事長などを務めた加藤紘一氏(山形県鶴岡市出身)が9日、死去した。故鈴木善幸氏以来となる東北出身の首相を嘱望され、「政界のプリンス」と呼ばれたが、「加藤の乱」の失敗で失脚した。国際感覚に優れ、政策通の反面、優柔不断で政局にはめっぽう弱い−。春先から加藤氏の病状を心配する声が永田町に広がる中、政界関係者の語った加藤氏評には、功績をたたえる声と厳しい指摘が入り交じった。

 加藤氏は2000年11月、森喜朗内閣不信任決議案への賛成を公言したが、党執行部に派内を切り崩されて失敗。その後、首相4人を輩出した名門・宏池会は加藤派と岸田派の源流となる堀内派とに分裂した。
 「あのときの分裂が尾を引いている。宮沢喜一政権以来、宏池会政権が遠のいているのは寂しい」。加藤の乱の当時、加藤派幹部で国対委員長だった古賀誠氏は5月末、岸田派会合で自民党史に残る反乱劇を振り返り、嘆息した。

<総裁選出馬でけんか>
 「政局が不得手」と加藤氏を評した古賀氏。故小渕恵三首相(当時)が再選された1999年9月の党総裁選に加藤氏が立候補したことで「大げんかした」と明かし「経世会との信義を損ねた。小渕氏の後は加藤政権ができるはずだったがそれは消えた」と話した。
 加藤の乱の際、加藤氏と連携を取った民進党の菅直人元首相は人の良さがあだとなったとみる。当時、キーマンだった古賀氏と話し合いながら物事を進めているかと尋ねた。「古賀さんを(党執行部との間で)板挟みにしてはいけないからあまり話していない」との答えが返ってきて驚いた。
 影響力が低下した宏池会と対照的に乱鎮圧に動いた清和会はその後隆盛を極め、首相に小泉純一郎、安倍晋三両氏らを輩出する。菅氏は「比較的良識的なリベラル保守が力を失った。日本の政治にとっては好ましくないと思う」と語った。

<「農家守れなかった」>
 政策面では農政や外交に強みを発揮した。小泉進次郎自民党農林部会長は8月の講演で「全ての農家を守ろうとして、全ての農家を守れなかった」との加藤氏の言葉を引用。「戦後農業を支えた人々に敬意を表しながら、彼らの反省も生かさなければいけない」と述べ、旧来の農業政策の脱却と、足腰の強いもうかる農業を目指す決意を示した。
 東北の議員も死を惜しんだ。派閥分裂でたもとを分かった鈴木俊一元環境相(衆院岩手2区)は「いろいろと指導いただいた。外交官出身なのに、農林関連の政策にも精通した政治家だった」と振り返った。


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2016年09月13日火曜日


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