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<3.11と今>離れても日和山集う

日和山に立ち、海を見詰める佐藤さん=8月25日
基礎部分だけを残し、津波で流失した佐藤さんの自宅=2011年3月12日

◎変わる古里−仙台市宮城野区蒲生地区(3)絆絶やさず

 地域のシンボルは、標高3メートルほどの日和山。仙台市宮城野区蒲生地区にあった港町内会で役員を務めた佐藤政信さん(70)は、「日本最低峰」から海を眺めるのが今でも好きだ。
 8月下旬に足を運び、しみじみと見渡した。近くの自宅跡は更地。「面影は消えた。それでも日和山に来ると、古里に帰ったように心が安らぐ」
 港町内会は蒲生地区の七北田川北部にあった4町内会の一つ。東日本大震災の津波で全86戸が流失、26人が犠牲になった。
 会社員だった佐藤さんは仕事先の岩沼市で地震に遭った。翌朝、地区住民が一夜を明かした当時の中野小で妻つや子さん(67)と再会。無事を喜んだのもつかの間、「家族にまだ会えない」「安否が分からない」と、顔見知りに次々とすがられた。
 町内会長ら役員5人が亡くなり、まとめ役になれる役員は自分だけ。太白区に住む次男から身を寄せるよう促されたが、「家族も家も失った方がいる。離れるわけにはいかない」。避難所に残る町内会の約15世帯と行動を共にした。

 最優先は安否確認だった。近隣の避難所を捜し歩き、肉親を亡くした住民と遺体安置所に通った。名簿の復元にも取り組んだ。みんなで記憶を頼りに各世帯の家族構成を記し、安否情報を書き加えた。
 震災発生から1カ月ほどの4月上旬。避難所でようやく1人1畳分のスペースが割り当てられた。あえて間仕切りを取り払った。「狭い場所にこもるより、顔を合わせて広々と使った方がいい」。一緒に食事し、布団を並べて寝た。大家族のように支え合った。
 宮城野区の高砂一丁目公園仮設住宅に町内会でまとまって入居したのは2011年6月。別の避難所にいた同じ町内会の10世帯も加わった。仮設住宅の自治会長に就き、お花見会や芋煮会を催すときは、港町内会との「共催」にした。
 「元気かな…」。なじみの町内会の名を掲げることで、親類宅やみなし仮設住宅で暮らすかつての「ご近所さん」を誘いたかった。

 福島県南相馬市で生まれ、就職で神奈川県藤沢市に移った。30代で仙台市に転勤し、ついのすみかを構えたのが蒲生。近所付き合いを深め、休日は釣りを楽しんだ。
 蒲生北部は市の土地区画整理事業で産業用地に充てられる。4町内会は解散し、中野小は閉校となった。第二の古里が失われゆく。
 佐藤さんは15年11月、自宅跡から約6キロ内陸にある宮城野区田子西の防災集団移転団地に自宅を再建した。ご近所さんそれぞれが新天地で生活を築く。
 「だからこそ蒲生の記憶を残したい。亡くなった方のため、生き残った自分たちのためにも」
 元住民らが集う高砂市民センターの講座「中野ふるさと学校」が昨年開講した。代表は佐藤さん。震災前の街並みを模型で再現し、今年は日和山のジオラマを作った。7月1日には日和山の山開きをし、約100人が旧交を温めた。
 「蒲生を離れても、住民のつながりは消さない」
 改めて心に刻む。(庄子晃市)


2016年09月16日金曜日


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