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<浜を歩く>魚の町 操業再開願う

津波の難を逃れた秋葉神社。復興に向かう地域を見守る

◎久之浜(いわき市)復興へ区画整理進む

<「直送」売り物>
 沿岸漁業で栄えた福島県いわき市北部の久之浜。東日本大震災の津波と火災で中心部が壊滅した。犠牲者は関連死を含め45人。家々が岸に張り付き、寄り添った街は今、区画整理事業が進む。
 まだ土と草の街を歩く。茶色のコンテナの壁に、小さな看板が掛かっている。「浜Cafe(カフェ)」
 実家が津波にのまれた白土和江さん(59)が2013年11月、「街に一つでも明かりを」と開いた。以来、コンテナの店から古里の変遷を見詰め続ける。
 開店当時、壊れた家がぽつんぽつんとあった。積み上げられたコンクリート。「色がない、グレーの街だった」
 土がどんどん運ばれ、山盛りになった。ダンプ、重機。防潮堤や宅地が少しずつ姿を現す。今年3月に最初の39区画、8月末に64区画が住民に引き渡された。
 「やっと、という感じ。でも、家が建つだけじゃ活気は出ないのよ」。漁家生まれの白土さんは言う。
 福島県の沿岸漁業は東京電力福島第1原発事故の影響で、今も本格操業を自粛する。週2回だけ、試験操業で船が出る。
 浜カフェ近くに住む仲買人の遠藤浩光さん(57)を訪ねた。「ここは魚の町。いわきの料理屋は『久之浜直送』が売り物だった」
 久之浜には震災前、大小約50隻の船があった。ヤナギガレイ、ヒラメ、アンコウ、タコ…。沿岸物の水揚げは市全体の半分を占めた。1966年、大合併でいわき市に入るまでは双葉郡に属し、今も共同漁業権は福島第2原発(福島県富岡町、楢葉町)の前まである。
 「仲買人も『悪い魚は買わねえぞ』って気概があった。漁民と切磋琢磨(せっさたくま)してね。だから久之浜の魚は品質と鮮度が違ったんだ」

<震災前の2.5%>
 岬を抜け、1キロほど先の漁港に向かう。市場は地震、津波の打撃で取り壊された。係留された船と岸壁との間で、緩衝材がきしむ。
 底引き網の休漁が明けた今月、「常磐もの」の代表格、ヒラメが試験操業の対象に加わった。操業海域の拡大へ、第1原発20キロ圏のがれき撤去にも着手する。
 少しずつ前に向かうが、先は見えない。いつ本格操業が再開できるのか。いわき市漁協の水揚げ量は震災前の2.5%。静寂が支配する船着き場の端で、初老の男性が釣り糸を垂れる。
 中心部に戻る。ぽつんと社が立つ。秋葉神社。津波に耐え、火の手も直前で止まった。県が整備する防災緑地の予定地だったが「復興の象徴にしたい」と地元が要望し、残った。
 「小さい頃、木から社の屋根に飛び移って遊んだもんだ。神社や狭い路地に子どもがワサワサいたなあ」。遠藤さんは懐かしむ。
 区画整理で全213区画の引き渡しが終わるのは17年10月。港に魚がどんどん揚がり、新しい街で子どもがワサワサ集まる。ハマの再興を神社に願う。(いわき支局・古田耕一)


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2016年09月20日火曜日


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