宮城のニュース

<満州の記憶>当時と世相共通 危惧

「当時は満州事変が旧日本軍の謀略だったことが隠された。歴史の教訓を忘れないことが大事だ」と語る安孫子さん

 満州事変を発端に戦争に突入していった歴史から何を学ぶべきなのか。3歳の時に事変に遭遇し、17歳まで旧満州(中国東北部)で過ごした元東北大教授(日本近代経済史)の安孫子麟さん(88)に聞いた。(聞き手は角田支局・会田正宣)

◎満州事変85年/元東北大教授 安孫子麟さんに聞く

<家の上弾丸飛ぶ>
 −事変について覚えていることは。
 「ごう音を立てて弾丸が家の上を飛んだ。祖母が腰を抜かして庭に座り込んだのが人生最初の記憶。家は奉天(中国遼寧省瀋陽)の中国側の城内と南満州鉄道(満鉄)付属地の中間地帯にあり、事変で付属地の親族宅に避難時に旧日本軍の検問に遭い、車窓から突き入れられた銃剣が光った」

 −事変では県関係者が多数犠牲になった。
 「事変では半年前から駐屯していた第二師団と関東軍独立守備隊第二大隊が投入された。第二大隊は仙台で編成され、最初の戦死者は第二大隊の兵士とされる。東北は強兵良馬の産地で直前に動員されたのは意図的だったとの見方がある」
 「日本に戻れなかった開拓民も多い。宮城が事変と大きく関わっていたことを県民は知ってほしい。その悲惨さを体験した私は、戦争に絶対反対。憲法9条は守らなければならないとの信念がある。事変当時、国民も戦争を支持した。戦争を起こす政府を選んだ国民も反省する必要があった」

 −安保関連法が施行し改憲発議も現実味を帯びてきた現在の状況をどう見るか。
 「職に就けず非正規雇用が多い若者は、将来不安を感じている。状況は事変前の世界恐慌と似ていると思う。中国や北朝鮮への脅威を国民が感じており、集団的自衛権行使や軍備増強を図りたい人たちにとっては好都合なのではないか」

<民間の友好 大切>
 −国家間の緊張が高まる一方で、戦争体験者が減り戦争の実像の伝承が難しくなっている。
 「体験者であれば、ヘイトスピーチが国際関係を悪化させることを肌身で理解できるはず。交戦の可能性が生じるような海外での自衛隊の警護活動についても、戦地の恐怖を知らない人がよく分からないまま支持するのではないか」
 「中国、韓国といった日本がかつて支配した国々との関係では、戦時中の出来事について日本側が反省すべきところは反省しないと相互理解は深まらない。立場の違いは認めながら、民間レベルでの友好関係を築いていくことが大切だ」

●安孫子麟(あびこ・りん)1928年北海道生まれ。30年に一家で旧満州に渡る。父は奉天日本人居留民会書記を務めた。旅順高等学校で終戦を迎え、46年に帰国。東北大院退学。宮教大教授を経て88年に東北大教授、92年退官。仙台市青葉区在住。


関連ページ: 宮城 社会

2016年09月21日水曜日


先頭に戻る