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<までいな村の明日>暮らしの根本 遠い再生

完成間近のビニールハウスの前に立つ高橋さん

 東京電力福島第1原発事故で全域が避難区域となった福島県飯舘村は2017年3月末、一部地区を除き避難指示が解除される。村は事故前、身近な自然を生かした手づくりの活性化策を模索し、「までいな村」として知られた。美しく、のどかな田園風景は戻るのか。10月6日告示の村長選(10月16日投開票)を前に、村再生の課題を探った。(福島総局・藤井宏匡)

◎福島・飯舘村長選10月6日告示(上)農業

<営農再開心待ち>
 かつて水田だった場所に、ビニールハウス6棟が間もなく完成する。「自分が耕した土で早く花を作りたい」。高橋日出夫さん(66)は古里での営農再開を心待ちにしている。
 野菜なども手掛けてきた専業農家。福島市に避難した後も農地を確保し、花卉(かき)栽培を続けてきた。
 避難指示解除を見据え、県などの助成を受けて施設再建を進めてきた。農協の系統以外の新たな販路も確保し、風評被害を受けにくい花卉に特化する考えだ。「いい花を作れば、ちゃんと値段が付く」
 共に帰還する周囲の農家と、当面使われる予定のない田畑にカラシナを植える計画もある。荒れ果てた景観の改善と、将来を見据えて土壌を肥やしておくのが狙いだ。
 村は事故前、全約1700世帯のうち、半数以上が農家だった。専業から自給まで、農業は村民の暮らしに溶け込み、共助や自然との共生といった「までいな村」の精神の源泉となっていた。
 ただ、高橋さんのように帰還を目指す農家は多数派ではない。

<悲観的な声多数>
 15年12月、村が農家約1200人に実施した調査で、64%が「村で営農再開するつもりはない」と答えた。「マイナスからの再開になる」「出荷しても受け入れられない」。理由の回答欄には、悲観的な声が多く寄せられた。
 専業農家で、出荷制限の解除に向けた野菜の実証栽培に協力している北山梅子さん(61)=相馬市に避難=も、村に戻るかどうか悩む一人だ。「村の作物は何十年も売れないよ、って息子に言われてね…」
 事故後、毎年行われてきた試験栽培では、放射性物質濃度は全て国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を下回っている。村の担当者は「避難区域だったという負のイメージは残る。(安全だという)数字を示しても買わない人は買わないだろう」とみる。

<大半は60代以上>
 除染で山砂と入れ替えられた農地の質にも不安が残る。カリウムやゼオライトで放射性セシウムの吸収抑制対策が取られているが、良質な土壌を取り戻すには数年かかるとみられる。
 村の調査で営農再開を希望した半数以上は60代以上だった。福島大の守友裕一特任教授(地域政策論)は「若手農家が安心して村に戻れるよう、村が農業公社を設立し、雇用して給与を払う形で生活を保障することも必要ではないか」と提言する。

【注】「までい」は、「丁寧に」「手間暇惜しまず」などを意味する方言。


2016年09月27日火曜日


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