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<以和貴の心>認め合い 共生の道探る

合併の半年後に行われた記念式典では、7コースで旧14市町村を通る聖火リレーを実施。式典終了時刻に次々と到着した七つの火が一つになり、聖火台にともされた=1967年3月30日(市提供)
舘敬(たち・たかし)1952年、いわき市(勿来地区)生まれ。磐城高卒。自動車電装整備業の傍ら、勿来地区のまちづくりに関わる。2006年にNPO法人勿来まちづくりサポートセンターを設立し、震災後はなこそ復興プロジェクトを展開。地元の津波被災地での復興公園計画づくりなどに取り組む。交流サロンの開催や借り上げ住宅への訪問など、原発事故による避難者の支援にも力を入れる。64歳。

 福島県いわき市が14市町村の大同合併で誕生し、1日で50年となった。石炭産業が斜陽化する中、新産業都市の指定を受けるために生まれ、広大な市域と旧市町村をどうまとめるかに腐心し続けた。東日本大震災後は、東京電力福島第1原発事故の避難者2万4000人が居住するなど新たな局面を迎えている。その名に「以和貴」(和を以(もっ)て貴しとなす)の願いを込めた市の「現在」「過去」「未来」を聞いた。(いわき支局・古田耕一)

◎いわき市大合併50年(上)現在/勿来まちづくりサポートセンター理事長 舘敬さん

<ライバル心出す>
 −大合併から半世紀。14市町村の融和が課題と言われ続けてきた。
 「垣根があるか、ないかと問われれば、私の世代にはある。生まれた勿来地区が意識の中心で、外側にいわきがある。若い世代は逆だろう。市民の半数は合併後に生まれた。いわき市民であることが自然の感覚で、その中に身近な場所として旧市町村が存在する」

 −広すぎるという声は今も多い。
 「しかも工業地帯や城下町、温泉街、港町、農山村と多種多様だ。アルプス連峰を考えればいい。特徴ある山が連なって形成されている。地域格差や中山間地の過疎化など課題は多く、ライバル心が顔を出す場面も残るが、各地区が特徴を生かして歩んでいる」
 「それぞれの地区が存在価値を発揮することで、いわき全体の価値が生まれる。相手を認め、自分も認めてもらって共生する。『いわきは一つ』を目指した時期もあったが、年月を経て、その方向に収斂(しゅうれん)されてきたのではないか」

<互いにプラスに>
 −震災と原発事故で環境は大きく変わった。
 「津波被災地の復興とともに、原発事故の避難者を地域でどう受け入れるかが、いわきの新たなテーマだ。混沌(こんとん)の中で住宅・宅地不足などの問題も生じているが、人口減の社会で2万4000人が増えたことをプラスの方向に捉えたい」

 −勿来地区には双葉町が仮役場を置き、町外拠点の復興公営住宅も造られる。
 「地元の津波被災者を支援する中で、双葉町民への支援、交流が自然と始まった。復興住宅ができれば今まで以上に、地域に別の行政体が存在する形になる。避難者が普通に生活でき、互いにプラスになるコミュニティーをどう築くか。双葉の人たちと2年以上、継続的に意見交換している」

 −2012年には市役所などに「被災者帰れ」と落書きされる事件があった。避難者と市民との「あつれき」も指摘される。
 「市民の複雑な感情が表に出たという話を間接的に聞いたことはあるが、一部ではないか。いわき市民自身も原発事故の被災者。お互い特殊な状況の中で、ちょっとしたことに過敏に反応し、話が広がることもある。今は意識もだいぶ変わったと思う」
 「誰も避難したくて避難したわけではなく、賠償金をもらっても心は満たされない。一方で、受け入れ側にも習慣やコミュニティーがある。50年前も住民が合併したくてしたわけではなかった。互いを理解し、認め合い、共生することが今、改めて求められている」

[いわき市]1966年10月1日に平、磐城、勿来など5市と四倉など4町、好間など5村が対等合併した。99年に中核市。面積は東京23区の約2倍で、2003年まで「日本一広い市」だった。15年10月時点では12番目に広い市。住民票を置かない避難者らを含む推計人口は34万7679人(9月1日現在)で東北2位。製造品出荷額は1995年から17年連続で東北一。96〜2008年は1兆円を超えた。


2016年10月04日火曜日


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