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<震災被災地のいま>募る望郷、薄れる地縁

「神社があれば、藤塚がここにあったと分かってもらえる」。再建された五柱神社の前で話す東海林さん

◎ここから 仙台・東六郷(3)災害危険区域

<気持ちは藤塚に>
 「できるなら、藤塚に戻って来たい」
 仙台市若林区藤塚の町内会長を務める東海林義一さん(74)は、東日本大震災の津波で変わり果てた郷里に今も足しげく通う。「辺ぴな所かもしれないが、自然豊かで暮らすにはいい所だった」
 藤塚は名取川河口の農村部で、震災前は96世帯が暮らしていた。津波で住民26人が亡くなり、東六郷の4集落で唯一、全域が災害危険区域となった。
 津波で自宅を失った東海林さんは昨年11月、防災集団移転先の若林区今泉に新居を構えた。「ようやく自分の家だと思えるようになってきた」と話す一方、「気持ちは藤塚にしかない」と揺れる思いを明かす。
 今、藤塚に住んでいる人はおらず、かつての住宅地は草ぼうぼう。周辺ではかさ上げ道路などの工事が進む。震災前の面影が「何もなくなった」(東海林さん)中、集落が存在した証しを残すのが、昨年12月に再建された五柱神社だ。
 仙台藩祖伊達政宗が狩りの途中に立ち寄り、社殿の改築を命じたという逸話も残る古社。津波で鳥居や社殿などが流されたが、「何もなくなっては忘れられる」と藤塚町内会が中心となって再建を進めた。

<神社の再興続く>
 東海林さんは「子どもの頃は神社が遊び場だった。神社に集まって近くの川や海で遊んだ」と懐かしむ。境内では地域の歴史を刻んだ石碑が倒れたまま。住民に長年親しまれた神社の再興はこれからも続く。
 現在92世帯が加入する藤塚町内会は来年3月に解散する見込み。共同墓地の管理などの残務があるため、町内会に代わる新たな住民組織をつくる方向で調整しているが、時の経過とともに地縁は薄れる一方だ。
 「宅地は市に買い上げてもらったが、農地は残っており、藤塚との縁は切れない。住民が離れて暮らす中、今後何年まとまっていられるのか…」。東海林さんはため息をついた。


2016年10月06日木曜日


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