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<以和貴の心>浜通り結ぶ広い視野を

原発事故で福島県楢葉町民の避難所となったいわき市の平六小体育館。いわきは避難者の最大の受け皿になった。市内の避難者向け仮設住宅は35カ所に上る=2011年3月13日(楢葉町提供)
福迫昌之(ふくさく・まさゆき)1967年、いわき市(平地区)出身。慶大大学院社会学研究科修士課程修了。シンクタンク研究員などを経て、97年に東日本国際大(いわき市)講師。2007年経済学部(現経済経営学部)教授。副学長、経済経営学部長を務める。いわき産学官ネットワーク協会常任理事。双葉郡の合併議論の必要性も訴えている。専門は地域社会学、コミュニケーション論。49歳。

 福島県いわき市が14市町村の大同合併で誕生し、1日で50年となった。石炭産業が斜陽化する中、新産業都市の指定を受けるために生まれ、広大な市域と旧市町村をどうまとめるかに腐心し続けた。東日本大震災後は、東京電力福島第1原発事故の避難者2万4000人が居住するなど新たな局面を迎えている。その名に「以和貴」(和を以(もっ)て貴しとなす)の願いを込めた市の「現在」「過去」「未来」を聞いた。(いわき支局・古田耕一)

◎いわき市大合併50年(下)未来/東日本国際大教授 福迫昌之さん

<都市像を棚上げ>
 −いわき市の50年をどう分析しているか。
 「新産業都市の指定と引き換えの合併は『制度的押し付け』だった。その中で、市としてのアイデンティティー、地域ビジョンを模索し続けた50年と言える」
 「災害で地域が傷つくと、(アイデンティティーである)地域意識や郷土愛が高まることは自然の道理。いわきでも市民意識が東日本大震災からの復興の原動力になった。同時にその意識が東京電力福島第1原発事故の避難者との摩擦という負の側面も生んだ」

 −模索した地域ビジョンは描かれたのか。
 「その時々で『一体化』や『交流』『ネットワーク』といったキーワードが唱えられたが、明確な都市像は棚上げされてきた。市を取り巻く環境が大きく変わった震災、原発事故後も方向性は示されていない」
 「震災前は、原発立地地域の双葉郡との連携意識は希薄だった。2万4000人の避難者を受け入れている今は切っても切り離せない。広い市をどうまとめるかに苦慮してきたが、より広い視野で、浜通り全体を見据えたビジョンを考える時だ」

 −具体的には。
 「連携中枢都市圏に名乗りを上げ、拠点都市となることだ。医療や福祉、経済や観光、交通システムなどの課題に、いわきが中心となって圏域で取り組む。避難者が住み、頻繁に行き来する現状を考えれば必然。まずは帰町が始まっている広野町、楢葉町とすぐに協議すべきだ」

<文化的な環境に>
 −目指す将来像は。
 「生活拠点都市だろう。国などは浜通りに廃炉研究拠点や関連産業を集積するイノベーション・コースト構想を進めている。最先端技術を支える母都市として、国内外の研究者に魅力ある、文化的で生活しやすい環境を提供する。浜通りを見渡したとき、現実的な役割と言える」
 「いわきは産業都市として成長したが、生活・文化面はまだ都市規模に見合っていない。将来を展望しても必要な要素だ」

 −民間では、若者らが浜通り全体の復興・発展を唱え、行政の枠を超えた活動を活発化させている。
 「地域アイデンティティーは一つでなくてもいい。『自分は(旧市町村の)勿来の人間であり、いわき市民であり、浜通りの一員である』という風に。震災はより身近な地域への関心も高めており、重層的なアイデンティティーが生まれる契機にもなった」
 「どのアイデンティティーに重点を置くかは、人それぞれ違っていい。重層を『分断』ではなく、『多様性』や『連携』に結び付けられる将来図を示すことが必要だ」

[連携中枢都市圏]地域の中心的都市と周辺自治体が連携して活性化に取り組む構想。従来は総務省が「地方中枢拠点都市圏」、国土交通省が「高次地方都市連合」、経済産業省が「都市雇用圏」として取り組んでいたが、統合された。国は地方交付税などで財政支援する。圏域の中心となる拠点都市は人口20万以上、昼間の人口が夜間を上回ることなどが要件で、いわき市は満たしている。


2016年10月06日木曜日


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