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<下北 電気100年>未灯の地 核燃拠点に

 本州最北端の青森県下北半島で大湊電灯が電気をともしてから8日で100年になる。半島はこの1世紀の間、開発の挫折を繰り返しながら変貌を遂げた。電気にまつわる下北の歴史を振り返る。(むつ支局・勅使河原奨治)

◎エネルギーに揺れて(上)変貌

 半島付け根の六ケ所村で今年4月、「地上に太陽をつくり出す」研究が本格始動した。
 日米欧やインド、中国などが参加する国際熱核融合実験炉(ITER)計画。太陽で起きている核融合と同じ原理を応用し、原子核同士がくっつく(融合)ときに出るエネルギーを利用しようという計画だ。六ケ所村の量子科学技術研究開発機構・核融合研究所は、実験炉を作る際に必要な材料研究を担う。

<「暮らし豊かに」>
 「核融合? さっぱり分からない。電気が通って100年でずいぶん変わった。自分がいたころは、電気をつなぐことだけを考えていた」
 東通村白糠の元東北電力社員二本柳登喜夫さん(90)は、戦前の1941年4月に旧青森県電気局に入った。大湊電灯などの業務を引き継いだ部門だ。自宅にも電気が通っていない時代だった。
 仕事は下北半島の未点灯地域の解消と電線網の保守がメインだった。むつ市大畑町水木沢地区で60年代に担当した未点灯地域の工事が最も印象に残っている。
 集落の軒数が少なく、電気を通すには住民が負担金を払わなければならないケースだったが、営業担当の同僚が豚小屋も1軒と数えるアイデアを出して軒数を増やし、住民負担無しで工事を終えた。明かりがともった時の住民の喜ぶ顔が忘れられない。
 二本柳さんは「各地の住民が電気を待っていた。電気が通れば、暮らしが豊かになると信じてやってきた」と振り返る。
 二本柳さんによると、住民が電柱用にヒバを調達したり、作業を手伝ったりすることもあった。裸電線が津軽海峡の潮風で傷んで電気がショートするトラブルも多く、普及は一筋縄ではなかったという。

<国エネ政策担う>
 下北の未点灯地区は東京オリンピックが開幕する64年までに解消され、日本は大量消費時代に入った。
 以後、下北は都市部の需要を支えるため原発や使用済み核燃料再処理工場、ITER計画と、国のエネルギー政策の中核を担う地域へと変わった。
 大湊電灯の跡地に、今は東北電力むつ営業所が立つ。相沢利之むつ営業所長は「厳しい自然条件の中、電気を絶やすことなく届けてきた先人の熱い思いを次代に引き継ぎたい」と話す。

[大湊電灯]地元の経済人ら6人で設立し、1916(大正5)年10月8日、共に現むつ市の田名部町、大湊村など552戸に電力供給を始めた。木炭コークスを使ったガス力発電で出力は42キロワットだった。35(昭和10)年に他の電力会社と共に青森県電気局に統合され、東北配電を経て51(昭和26)年、東北電力になった。

下北にともった電気が彩る「夜のアゲハチョウ」と呼ばれる夜景=6日午後6時ごろ、むつ市

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2016年10月07日金曜日


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