宮城のニュース

<あなたに伝えたい>孝行してやれなかった父母

高齢者の引きこもり防止などを目的に「コミュニケーションマージャン」を主催する菊田さん=気仙沼市太田の太田2区自治会館

◎菊田忠衛さん(一関市)勝衛さん、チヨ子さんへ

 忠衛さん 私は地震後に戻った職場から高台にぎりぎり避難しました。自宅にいた妻は両親を2階に移そうとしましたが、膝を痛める母は「茶の間にいる」と上がりません。津波に追われた人が玄関のドアを開け、同時に津波が流れ込んできたそうです。
 1階のカーテンレールにしがみついて妻が助かったことが救いです。理不尽な別れに、涙が出る余裕はありませんでした。
 おやじは気仙沼市階上、おふくろは水沢(現奥州市水沢区)の出身です。おやじは真面目な人。戦後は全国から置物などを取り寄せて行商を営み、私と姉の2人を育ててくれました。
 おふくろは魚仕事であかぎれだらけの手が忘れられない。私が中学卒業後、上京するために乗った集団就職列車を涙目で見送ってくれました。いつも陽気で冗談ばっかり。友達とのお茶飲みが生きがいでした。
 家族で帰郷後、同居した両親に親孝行らしいことをしてやれなかった。だからでしょうか。仮設住宅に住んでいたとき、見回り先の高齢者が両親とダブって目が潤むんですね。

◎地域の高齢者、親と思い支援

 2011年12月に一般社団法人「ボランティアステーションin気仙沼」を設立し、仮設住宅でお茶会や健康体操会を催すなどコミュニティー支援を続けています。「お年寄りの孤立や孤独を防ぎたい」という思いからでした。
 12年に一関市千厩町に自宅を再建し、気仙沼に通う日々です。両親にしてやれなかった分まで、まだまだ支援活動はやめられないと思っています。
(日曜日掲載)


 菊田勝衛さん=当時(93)=、チヨ子さん=同(86)=夫妻 気仙沼市幸町4丁目で自宅で、長男の忠衛さん(66)、忠衛さんの妻せつ子さん(61)と4人暮らしだった。東日本大震災が起きた時、自宅にいたせつ子さんと3人で津波に襲われ、2011年4月4日、自宅から2人の遺体が見つかった。


2016年10月09日日曜日


先頭に戻る