岩手のニュース

<私の復興>2度再建 古里のため

本店の「びはんプラザ」で商品棚を整える間瀬さん=岩手県山田町

◎震災5年7カ月〜岩手県山田町・「びはん」専務 間瀬慶蔵さん

 「山田の台所」を自負する。東日本大震災で被災し、思いはさらに増した。
 岩手県山田町でスーパーなどを営む老舗商店「びはん」専務の間瀬慶蔵さん(38)は8代目の跡取り。復興のただ中を突っ走ってきた。
 町中心部の国道45号沿いにあった本店が津波で全壊。仮設店舗を経て、現地再建を果たしたが、今秋再び節目を迎える。
 本店から約500メートル離れたJR山田線陸中山田駅周辺に、町は災害公営住宅や商業施設を集約した復興拠点整備を計画。11月、一角に本店を移転開業し、新たなにぎわいづくりを担う。
 「中心部に人も店も集約しないと町は将来的に成り立たない」。2度目の再建は悩んだ末の決断。「心機一転、挑戦するしかない」
 大学卒業後、大手スーパーに就職し首都圏などでの勤務を経て帰郷した。震災はその3年後。店が波にのまれる様子を、高台からただ眺めるしかなかった。
 中心部は火災も起きて壊滅し、800人以上が犠牲になった。食べ物やトイレがない。焦げ臭い。自宅は全壊。生まれ育った町の日常が全て消えた。

 「動くしかない」。盛岡市で食品を仕入れ、4日後には青空市、1カ月が過ぎたころには仮設店舗で営業を始めた。本格再建はお盆までに、と決めた。
 「遺族にとっては初盆。果物とか餅とか、うちがそろえないと」。町民に頼りにされた老舗として、他には譲れない使命があった。
 避難所生活を送りながら突貫工事でオープンにこぎ着けたのは2011年8月7日。待ちわびた客で道路は渋滞し、店内はぎゅうぎゅう詰め。うれしさを感じる暇もなく忙しかった。
 再スタートから5年。商売の手応えを感じる一方、町の将来に危機感が募る。
 人口が減る。山田中1年の長女の学年は3学級。自分のときは8学級あった。復興工事が一段落すれば、町外から来ている関係者も一気にいなくなる。「このままでは商売は成立しない」

 生き残り策を模索し、可能性に懸けるのが、自社商品の開発と販路拡大だ。
 大正時代から製造販売し根強い人気がある「山田の醤油(しょうゆ)」。一時途絶えた地元の味を約20年前、父で現社長の半蔵さん(68)が復活させた。震災後、町外で評判となり、県内をはじめ仙台市など県外の小売店から引き合いがある。
 地元産豚肉を使ったギョーザなどはネット通販を試みる。「知名度が上がれば、山田に人を呼ぶことにつながるはずだ」。移転に合わせ、新たなオリジナル商品を出す。
 JR山田線は震災で運休中の宮古−釜石駅間が18年度、第三セクター三陸鉄道に移管され復活する。これを機に地域を盛り上げたい。「山田が生き残るために」。古里を思う原点は変わらない。(菊池春子)

●私の復興度・・・70%
 経営していた店のうち、被災したスーパー2店舗はほぼ復旧復興を果たせた。町内陸部の豊間根地区に移転させた店舗が好調なこともあり、2店舗の売り上げは震災前を上回っている。全壊したガソリンスタンドは復旧できていない。町全体の復興は計画自体は決まっている。あとは工事を完成させるだけの段階だ。


2016年10月10日月曜日


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