宮城のニュース

<大川小 還らぬ人へ>深い喪失感 心癒えず

裁判官の現地視察に備え、大川小の校庭から裏山へ向かう美広さん。「息子に代わって走った」と話す=2015年11月8日

 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)

◎津波訴訟10月26日判決(1)佐藤美広さん、とも子さん夫妻

<病魔と闘う日々>
 「直腸がんです」
 2014年春、主治医の言葉を耳にしても、「仕方ねえな」と受け止めた。
 「健太のところへ行く。会えるからいいんだ」
 震災の津波で大川小3年だった長男健太君=当時(9)=を失った佐藤美広(みつひろ)さん(55)=石巻市=は、妻とも子さん(53)にこう漏らした。
 石巻市と宮城県を相手に仙台地裁に提訴して間もなく、がんを宣告された。判決までの日々は、病魔との闘いの日々でもある。
 「裁判で決着をつけるまで、会いに行かねえでくれ」
 涙目で訴えるとも子さんの思いを、美広さんは胸に刻んだ。
 昨年11月、寒気に包まれた石巻市釜谷地区に原告の遺族約20人が顔をそろえた。裁判官による初の大川小現地視察に備えるためだ。
 手術で直腸を約20センチ切り、抗がん剤や放射線治療を続ける美広さんも参加した。
 校庭から裏山へ走る。50キロ台だった体重は一時、36キロまで減った。体はやけに重く、息が切れる。「おっとう。仕方がなかったで終わらせないでくれ」。息子の声が聞こえた気がした。
 裏山までわずか1分。徒歩でも2分程度。遺族に共通する「なぜここに逃げなかったのか」という疑問は、石巻市教委との度重なるやりとりでも解消されなかった。

<息子の言葉支え>
 美広さんが40歳、とも子さんが38歳の時、健太君を授かった。「健康で太く生きてほしい」と名前に託した通り、大川小のスポーツ少年団で野球に熱中し、休日はキャッチボールで汗を流した。
 プロ野球東北楽天のエースだった田中将大投手の大ファン。家族で楽天のホームゲームを観戦するのが楽しみだった。
 遺体が見つかったのは11年4月上旬。顎以外、傷はほとんどなかった。石巻市内の安置所で遺体を引き取り、郡山市の火葬場で荼毘(だび)に付した。美広さんは試合用のユニホームを亡きがらに掛けた。
 石巻市内の大型商業施設、楽天の本拠地…。夫婦は思い出が詰まった場所に今でも足を運べない。月日の流れが心を癒やすことはなく、喪失感ばかりが募る。
 たった1人の息子を失った悔しさが夫婦を突き動かす。「健太にも夢や将来があった。74人の子どもが亡くなった責任の所在をはっきりさせたい」
 全国の教員への警鐘とし、悲劇を繰り返さない、と提訴して2年7カ月。「頑張って働いて、おっとうとおっかあを助けたい」と言ってくれた息子の言葉を支えに、墓前にささげられる判決文を待つ。


2016年10月15日土曜日


先頭に戻る