宮城のニュース

<大川小 還らぬ人へ>この子だけは大人に

笑顔で遊ぶ生望ちゃん。笑った目元が姉に似ている
未空さん
択海君

◎津波訴訟10月26日判決(4)佐藤英夫さん、すえ子さん夫妻

 父親が願う。
 「この子には無事に生きてほしい。それだけが望み」
 母親が誓う。
 「何が何でも、この子だけは大人にしてやんなきゃ」
 宮城県石巻市の佐藤英夫さん(45)と妻すえ子さん(42)は、昨年4月に授かった男の子を「生望(いくみ)」と名付けた。

<助かるわけねえ>
 東日本大震災の津波で、石巻市大川小6年の長女未空(みく)さん=当時(12)=と、3年の長男択海(たくみ)君=同(9)=を失った。
 子ども2人を一度に亡くした夫婦にとって、生望ちゃんの存在は「生きる望み」に他ならない。
 「大川小が壊滅状態だ」。震災翌日の2011年3月12日、英夫さんは耳を疑った。胴長をはき、大川小へと急ぐと、校舎西側の三角地帯と呼ばれる堤防道路近くに子どもたちの遺体が横たえられていた。
 子どもたちの顔にはハンカチが掛けられていた。英夫さんが「これじゃ助かるわけねえ」と絶句する傍らで、別の父親が泣き叫んでいた。
 遺体捜索から間もなく未空さんが、約2週間後に択海君が相次いで見つかった。ともに身長約140センチ、体重約30キロ。小さな亡きがらは手厚く葬られた。
 昆虫好きの択海君が捕まえたトンボやバッタを未空さんに見せ、困らせる。きょうだい仲良く携帯型ゲーム機で遊ぶ−。ありふれた日常が突然、消えた。

<形見も心の支え>
 3月11日、大川小前で市の広報車が「津波が松原を越えてきました。避難してください」と警告したのは午後3時25分ごろ。大川小が津波に襲われるまでまだ約10分、避難の時間が残されていた。
 「未曽有の災害だから子どもたちが死んだ、で終わったのでは到底納得できない。男の子が『逃げよう』と言っていた裏山など、より高い場所へ、なぜ避難しなかったのか」
 大川小の「悲劇」が想定外で済まされれば、第二、第三の大川小が出てしまう。佐藤さん夫婦は訴訟の原告に加わった。
 「妊娠しています」。提訴から数カ月後、朗報が届いた。現在、1歳半になった生望ちゃんは身長約80センチ、体重約11キロ。笑った目元は姉にそっくりだ。
 動物の本でライオンを見つけると「ガオー」。ゴリラのページでは、両手で胸をたたく。本の裏表紙の氏名欄に書かれた「さとうたくみ」という、会えなかった兄の存在をいつか知る日が訪れる。
 未空さんは震災直前、授業で親への感謝の手紙を書いた。「今までお世話になりました。育ててくれてありがとう」
 択海君は震災前の10年夏、折り紙で作った七夕飾りに「家族がしあわせでいられますように」と書いてくれた。
 震災から5年7カ月、思いがけず形見となった手紙と七夕飾りもまた、生望ちゃん同様、夫婦にとって生きる支えでもある。
          ◇         ◇         ◇
 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


2016年10月18日火曜日


先頭に戻る