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<大川小 還らぬ人へ>学校と命 問い続ける

栃木県の中高生に「あの日」の大川小について話す佐藤さん

◎津波訴訟10月26日判決(5)佐藤敏郎さん

 「逃げろ!」
 「死ぬな!」
 東日本大震災後、宮城県石巻市大川小の語り部を続ける元中学教諭佐藤敏郎さん(53)=宮城県石巻市=の声が一段と大きくなった。
 3日午後、耳を傾けていた栃木県の中高生60人が息をのむ。
 「先生たちはなぜ逃げなかったのかな」
 こう問い掛けた佐藤さんは、遺族たちと繰り返し議論し、たどり着いた答えを語り始めた。

<「なぜ」が原動力>
 「津波が来るまでの51分間、決められなかったようだ。どうすればよかったのかは簡単。誰かが『逃げろ!』『死ぬな!』と叫べばよかった」
 大川小6年だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした。
 震災3日目、勤務先の女川一中(宮城県女川町、現女川中)を訪れた妻と長男から「みずほの遺体が揚がった」と初めて知らされた。
 震災4日目、目の前の光景に言葉を失った。三角地帯と呼ばれる大川小近くの交差点に、30〜40人もの子どもの遺体が並べられていた。「絶対あってはならない光景。どんな災害、どんな判断ミスがあろうと…」
 通訳の仕事を夢見ていたみずほさんは、4月から中学校で習う英語の授業を楽しみにしていた。3月18日の卒業式ではみずほさんの伴奏で、6年生21人が声をそろえて歌うはずだった。
 「時間、情報、手段−。犠牲になった児童74人を救うチャンスは十分あったはずだ。ただ、命を守る視点が学校から抜け落ちていた」
 開かれなかった卒業式の日、みずほさんは荼毘(だび)に付された。
 震災直後から遺族が集めた証言や資料を整理し、真相究明の最前線に立ってきた。原動力は「なぜ、大川小だけが」に尽きる。他の市内63の小中学校で、下校中を除くと、学校の管理下で誰一人死んでいない。
 市教委と遺族とのパイプ役になろうと、何度も市教委に働き掛けてきた。元同僚や先輩の反応は、血の通わないものばかり。
 「何を守っているんだ」。市教委が、唯一、生き残った男性教諭や児童から聞き取ったメモを廃棄していたと知り、身も心もずたずたになった。

<「子守るべきだ」>
 昨年3月、28年間勤めた教師を辞めた。以来、大川小での語り部や講演の依頼が相次ぎ、「あの日」を語る日々を送る。
 「大川小の51分間は、実は全国どこにでもある。本当に大切なことを後回しや他人任せにする。その積み重ねの先に、あの日の大川小の校庭がある」
 訴訟には参加しなかった。ただ、数百ページに及ぶ膨大な訴訟関連の書類は原告の遺族から全て手渡され、目を通してきた。弁護士と何度も話し合い、「原告の主張」に自らの意見も反映された、と感じている。
 「学校は子どもを守るべきだ、という司法判断を示してほしい。『仕方なかった』では、日本の学校教育への信頼は根底から崩れ落ちる」
 原告同様、命と向き合う判決を待つ。
          ◇         ◇         ◇
 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


2016年10月19日水曜日


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