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<宮沢賢治>晩年に設計?「最後の花壇」公開

賢治が設計したと伝わる花壇を眺める一ノ倉さん
賢治が設計したとみられる花壇=4月、花巻市花城町(アートスペースMサイト提供)

 宮沢賢治(1896〜1933年)が亡くなる数年前、花巻市の親戚宅に設計して造られたと伝わる花壇が、改修を経て一般公開されている。約200枚のれんがで花壇を区分けしており、円形や四角形、曲線などの幾何学的な模様が配されている。正式な記録は残っていないが、専門家は賢治が設計を手掛けた可能性が高いとみている。
 花壇があるのは同市花城町の旧橋本家別邸。賢治のまたいとこで大津屋呉服店を営んでいた2代目橋本喜助が、病弱だった妻のために1928年に建てた。
 平屋で2012年まで喜助の家族がいたが、転居で空き家になった。住人と付き合いのあった同市の整体師一ノ倉俊哉さん(60)が「花巻の古い建物を残したい」と買い取った。
 一ノ倉さんによると、賢治は喜助の1歳下で、旧制盛岡中学で同じ寮に入るなど親しかった。賢治は喜助の妻の見舞いのため別邸の南東側に縦9メートル、横4メートルの花壇を設計し、1930年ごろに整備されたという。
 花壇は荒れていたが、一ノ倉さん一家が昨年秋に手入れを始めた。雑草を抜き、整備当時から残る縦横22センチ、幅5センチのれんがを敷き詰め直した。賢治が好んだというサルビアやマリーゴールド、チューリップを植えた。
 別邸は、花壇復活に賛同した東京のマーケティングコンサルタント会社の協力を受けて改修。作品展示などで利用できる「アートスペースMサイト」に生まれ変わった。
 2011年に花壇を調査した法政大の岡村民夫教授(表象文化論)は「れんがで歯車状の円を造ったり、花壇の中に通路があったりなど賢治の特徴が多く、最後に設計した花壇の可能性が高い。傾斜や日当たり、眺める角度も考慮されている点が賢治らしい」と指摘する。
 宮沢賢治記念館によると、賢治設計による花壇は同館ポランの広場や総合花巻病院の中庭、花巻温泉バラ園で復元されている。
 今年は賢治生誕120年の節目。一ノ倉さんは「賢治が晩年に設計した貴重な花壇に間違いないと思う。約90年前に庭を歩いていた賢治を想像してみてほしい」と話す。開館は午前9時半〜午後5時。入館無料。


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2016年10月19日水曜日


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