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<大川小 還らぬ人へ>壮絶な体験 語り継ぐ

大川小の保存の是非を巡る公聴会で、ビデオメッセージで思いを伝える哲也さん=2月13日、石巻市飯野川中

◎津波訴訟10月26日判決(6)只野哲也さん

 大川小の教訓とは何か−。東日本大震災から6度目のお盆、母校の宮城県石巻市大川小を訪れた只野哲也さん(17)=宮城県石巻市=が少し考え込み、口を開いた。

<今も恐怖消えず>
 「防災の意識を高めることじゃないかな。日頃の成果が災害の時に出るのだと思う」
 あの日、先生と行動を共にしていた児童74人と教職員10人が津波の犠牲になった。
 当時、小学5年だった哲也さんは九死に一生を得て、現在は高校2年になった。心身ともに成長し、「人を助ける仕事に就きたい」と将来像を語る。
 大川小にいた児童で助かったのは、哲也さんを含め4人だけ。津波は一緒に校庭にいた3年の妹未捺(みな)さん=当時(9)=だけでなく、母しろえさん=同(41)=と祖父弘さん=同(67)=の命も奪った。
 巨大地震の後、約50分間、校庭に留め置かれた。6年の男子が「山さ逃げた方がいいんじゃね」「早くしないと津波来るよ」と担任に訴えていた。
 先生の指示で、新北上大橋たもとの三角地帯と呼ばれる堤防道路へ誘導された。海抜約1メートルの校庭より約6メートル高い。「山に登れるのに」と思ったが、ついて行った。直後、北上川から黒い波が迫ってきた。必死に逃げたが、濁流にのまれ、気を失った。
 津波の恐怖は今も消えない。ただ、壮絶な体験を忘れてはいけない。そう心に決め、公の場で語ってきた。
 あの時、生死を分けたのは何だったのか。「学校と地域が連携して津波の避難訓練をしたり、子どもの声により耳を傾けてくれたりしていたら…」と思う。
 被災した校舎を震災遺構として保存するかどうかを巡り、今年2月、市民を対象に公聴会が開かれた。
 柔道の試合があった哲也さんは、ビデオメッセージでこう訴えた。
 「大川小を残して震災の記憶を語り継ぎ、災害時に助かる方法を一つでも多く考えた方がいい」
 一方で「まだ心の整理がついていない人が多くいると思う」と保存の是非を性急に決めず、深く議論することも求めた。

<若者の役割模索>
 哲也さんにとって大川小は、時に落ち込む気持ちを奮い立たせてくれる特別な場所だ。「せっかく生き残ったのに、何してんだよ」。亡くなった同級生6人の声が聞こえてくるようで背筋が伸びる。
 亀山紘市長は3月、震災遺構として大川小校舎を残すことを決めた。
 この夏、市内の仮設住宅の集会所に大川小の卒業生数人が集まった時、哲也さんは保存の在り方の議論に必要なポイントに気付いた。「俺たちの年代の考えをほとんど知らない」。大人の目ばかり気にしていた。
 「校舎を防災に役立て、自分たちのような悲しい思いをする人を二度と生まない」との信念がある。
 若者同士で何ができるか。生かされた命に感謝しながら、哲也さんは模索を続ける。
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 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


2016年10月20日木曜日


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