宮城のニュース

<大川小 還らぬ人へ>未来の道 広島に重ね

寺前さん(左)の被爆体験を聞く朋佳さん(中央)とそのみさん=8月6日、広島市

 原爆投下から71年となる8月6日、宮城県石巻市大川小の卒業生2人が、歴史の証人としてヒロシマを見詰めてきた原爆ドームを訪れた。

◎津波訴訟10月26日判決(7)紫桃朋佳さん、佐藤そのみさん

<妹への思い募る>
 2人は専門学校生紫桃(しとう)朋佳さん(18)=石巻市=と大学2年佐藤そのみさん(20)=埼玉県所沢市=。共に大川小に通っていた妹を東日本大震災の津波で亡くした。
 「戦争であれ、震災であれ、大切な人と離れ離れになった悲しみは同じ。強く生きて」
 平和記念式典後、被爆体験を聞かせてくれた寺前妙子さん(86)の言葉に2人は癒やされた。
 71年前のあの日、寺前さんは爆心地から約550メートル地点で被爆した。顔に大けがを負いながらも一命を取り留めたが、妹の恵美子さんは全身を焼かれ、13歳で他界した。
 5年7カ月前のあの日、朋佳さんは妹千聖(ちさと)さん=当時(11)=とけんかし、「行ってきます」のあいさつを交わさず家を出た。後悔の念と、もう一度会いたいとの思いが募る。
 通訳を夢見ていた妹みずほさん=当時(12)=を亡くしたそのみさんはあの日の朝、なぜかいらいらしていた。妹の「おはよう」に返事をせず、優しくしておけば良かったと悔いてきた。
 2人と同様、妹を亡くした寺前さんは、今も過酷な体験を語り続ける。
 朋佳さんは「今の自分にはできない。心の傷が癒えたら、人前で話せる時が来るかもしれない」と言う。

<校舎保存を訴え>
 戦争体験と震災体験−。過酷な体験を語り続ける心理的な負担の大きさは共通している。それでも多くの人が、未来の命のために「あの日」を語る。
 原爆ドーム周辺を案内してくれた地元のボランティアガイド村上正晃さん(23)は、知らない事、知ろうとしない事が時に罪であることを教えてくれた。
 「原爆ドーム前でピースサインをする人、騒ぐ人がいるのはなぜか。それは、過去にここで何が起きたのかを知らないからだ」
 被爆者に聞き取りを続ける村上さんは「二度と同じことが起こらないよう、若い自分なりに丁寧に語っていきたい」と話す。
 被爆体験のない同年代が放ったメッセージを、2人は重く受け止めた。
 大川小の「悲劇」を繰り返してはいけない−と、朋佳さん、そのみさんら大川小卒業生6人が「チーム大川」を結成したのは2014年3月。「地震や津波の恐ろしさを後世に伝えるきっかけに」と被災した大川小校舎の保存を訴えてきた。
 参考にしたのは「平和への誓い」を象徴する原爆ドームだ。「被爆体験を思い出させる」と解体論も根強かったドームを巡る議論に、2人は大川小の在り方を重ね合わせた。
 「震災を経験した若い世代と連携し、大川小で起きたことをしっかり伝えていきたい」
 若い2人は10年先、20年先を見据える。
          ◇         ◇         ◇
 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


関連ページ: 宮城 社会

2016年10月21日金曜日


先頭に戻る