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<大川小 還らぬ人へ>「命守る」親友に誓う

佐々木さん(左)の披露宴に参加した桐淵さん(右端)。友人代表でスピーチをした

◎津波訴訟10月2日判決(8完)桐淵博さん

 「実直な姿が目に浮かぶ。あいつ、本当に子どもが好きだったんですよ」
 埼玉大教育学部教授の桐淵博さん(63)=埼玉県伊奈町=が、「いちばんぼし」と書かれた黄色い冊子を手に涙を浮かべた。

<現場主義を貫く>
 A3判の冊子には、2009年度、10年度の宮城県石巻市大川小の学級通信がとじられている。児童74人とともに津波の犠牲となった教諭佐々木祐一さん=当時(57)=が書いたものだ。
 佐々木さんの妻(59)が、思い出の品々が流されてしまった遺族のためにできることはないか、と自宅にあった学級通信を製本したという。
 桐淵さんが、共通の教え子から佐々木さんの死を知らされたのは11年3月下旬。「亡くなった」という言葉以外、ショックで思い出せない。
 佐々木さんは東京学芸大の1年後輩だった。都心にある古ぼけた学生寮で毎晩、酒を酌み交わし、教育、政治、社会問題について議論した。
 「子どもたちといたい」と佐々木さんは昇進試験を断り続けた。現場主義を貫く一方、授業の進め方を考える「明日見(あすみ)の会」を約30年前に立ち上げ、石巻地方の後進の育成にも力を入れてきた。
 「自分の出世は二の次。とにかく子ども第一でした」。桐淵さんは親友の死を悼む。
 佐々木さんが受け持っていた大川小の3年生20人のうち、17人が津波の犠牲になった。
 子ども第一だった先生が、なぜ子どもたちの命を守り切れず、一緒に亡くなってしまったのか−。
 「あの日」からずっと、桐淵さんは重く苦しい問い掛けを自らに課してきた。

<「悲劇」から学ぶ>
 13年3月以降、教員を目指す学生と年2回、大川小を訪れている。津波被害の爪跡が残る校舎を目にした学生たちは「自分だったら子どもたちを守れただろうか」と恐怖感に襲われるという。
 現在の教員養成課程は、いかに分かりやすく各教科を教えるかという技術論が中心だ。子どもの命を守るため、教員として適切な判断力を養うコースは皆無に等しい、と桐淵さんは問題提起する。
 「元気に『行ってきます』と家を出た子を、元気に『ただいま』と帰すことが学校の責務。親元から離れている間、教員は子どもの命の守護者でなければならない」
 桐淵さんが学生に繰り返し説いてきたのは、現在の教員養成過程に抜け落ちた視点がある、と感じるからだ。
 「津波に巻き込まれる瞬間、あいつは本当に悔しかったはずだ。同じような悲劇が再び起きたとすれば、亡くなった子どもたちに言い訳できない」
 大川小の「悲劇」から目をそらさず、学び続ける。それが亡くなった子どもたちと親友の供養になる、と桐淵さんは信じる。
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 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


2016年10月22日土曜日


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