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<復興へのリレー>遊び場から世界目指せ

ワンパークでスケボーに熱中する子どもたち

 東日本大震災の最大被災地、宮城県石巻市ゆかりの人々が東北のスポーツ界で活躍している。子どもから大人まで、選手や指導者、競技を支える住民…。震災からの復興を願いながら一線で奮闘する思い、群像を描く。(石巻総局・水野良将)

◎石巻・スポーツの群像(1)スケートボード場「ワンパーク」運営 勝又秀樹さん

<震災で人生一変>
 津波で被害を受けた石巻市魚町に、スケートボードを手に子どもたちが集う。
 屋内スケボー場「Onepark(ワンパーク)」。約1000平方メートルの建物は壁の一部に穴が開き、ブルーシートに覆われている。いずれも床に設置された傾斜のある台や手すりのような鉄の棒で、子どもたちが次々にスケボーの技を決める。
 運営する勝又秀樹さん(38)が語る。「一つしかない遊び場を作りたい。子どもたちにはここで多くの人と交流し、新しい一歩を踏みだしてほしい」
 石巻市大街道地区出身。関東の大学を卒業後、古里へ戻った。コンビニエンスストアや美容業、不動産業と職を転々としながら、海辺の公園で仲間とスケボーに熱中してきた。
 震災を境に人生が一変した。津波で公園が流され、いとこの女性が24歳で亡くなった。一人っ子だった勝又さんにとって妹同然の存在だった。祖父母は今も行方が分からない。
 自問自答した。「好き勝手やってきた自分は何か残したのか。子どもたちにチャンスを与え、好きな石巻のために貢献できたら、生き残った意味があるのではないか」

<冷凍庫 自ら改修>
 2011年秋ごろ、地元の知人らとの食事会で、水産加工会社「木の屋石巻水産」(石巻市)の木村隆之副社長(61)とスケボーの話題になった。「スケボーをする場所がないんです」「適当な大きさの冷凍庫があるぞ」
 勝又さんはすぐに木村さんと冷凍庫を訪れた。床上には10センチ程度ヘドロがたまり、電気、ガス、水道は使えなかった。「ここをスケボー場にしよう」。無償で借り受けた。
 知人らと共に改修を重ね、13年4月、ワンパークのオープンにこぎ着けた。週2回、プロの選手を招き、初心者らを対象としたスクールを実施。プロへとつながる大会も開く。
 運営に力を注ぐため仕事を辞め、貯金を取り崩して生活する。「石巻が好き。地域の協力も得て石巻にスケボーを根付かせ、世界の人が足を運ぶ街にしたい」

<「五輪に出たい」>
 追い風が吹く。20年東京五輪の追加種目にスケボーが選ばれた。木村さんは「石巻の官民が一体となって機運を盛り上げ、地元からオリンピック選手が出てほしい」と期待する。
 秋田市の中学3年木島すぐりさん(15)は何度もワンパークを訪れ、練習や大会に参加した。小4の時に競技を始めたが、同市内の練習場所に来る人の大半が大人。同年代が競うワンパークでは刺激を受ける。
 「努力すれば技を覚えられるのが楽しい。プロになって世界の舞台で戦い、東京五輪に出たい」
 津波の爪痕残る冷凍庫が今、子どもの夢をつなぐ。


2016年10月25日火曜日


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