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<大川小訴訟>不明の娘の筆で「勝訴」

記者会見で唇をかむ鈴木さん。「娘の骨一本でも見つけてやりたい」と心に誓う=26日午後4時25分ごろ、仙台市青葉区の仙台弁護士会館

 宮城県石巻市大川小津波訴訟の判決が言い渡されてから約15分後、原告の鈴木義明さん(54)が仙台地裁前に姿を現した。原告仲間2人と判決内容を記した用紙を掲げる。
 「勝訴 子供たちの声が届いた」
 その文字を記したのは妻の実穂さん(48)。まな娘が習字で使っていた筆で、願いを込めて書いた。
 大川小4年生だった長女巴那(はな)さん=当時(9)=は今も行方が分からない。6年生だった長男堅登君=同(12)=は亡くなった。
 鈴木さんが言う。「判決の結果についてはほっとしている。だが、学校や市教委の事後対応については判断されず、残念です」
 2011年3月11日。震災発生後、鈴木さんは幼いきょうだいの安否確認を急いだ。その夜、石巻市の河北総合センターで、発生当時大川小にはいなかった柏葉照幸校長と会って告げられた。
 「大丈夫です。津波が来たら(校舎の)2階か山に逃げるよう言ってあります」
 息子は8日後、川岸で遺体で見つかった。「何で助けてやれなかったんだ」。悔しさと無念さで涙が止まらず、ひざまずいた。
 火葬された際、堅登君には真新しい学生服が掛けられた。診療放射線技師を志し、仙台市の私立中学へ進む予定だった。
 実穂さんは長年勤めた職場を辞めた。「巴那を早く見つけてお化粧をしてあげたい。ドレスを着させてあげたい」。足の裏が焼けるような夏の砂浜、荒れる冬の海の周辺などを捜し歩いた。
 ピアノと英語を習っていた巴那さん。「中学生になったら外国でホームステイをして、『エリーゼのために』を弾いて聴かせてあげたい」と夢見ていた。
 大川小では巴那さんを含む児童4人の行方が不明のまま。大川小遺族会は各地から届く支援金などを捜索に役立てている。
 多くの支援への感謝を伝えたいと、鈴木さんは26日、初めて訴訟の記者会見に臨んだ。ネクタイは娘が好きだった青色を選んだ。
 「骨一本でも見つけたい。今も一生懸命、わが子を捜している親がいる。支えてくれた皆さん、ありがとうございます」。マイクを手に声を詰まらせ、同席した実穂さんの頬を涙が伝った。
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 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は26日、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計約14億2660万円の支払いを命じた。学校の管理下で震災の津波の犠牲になった児童生徒を巡る司法判断は初めて。


2016年10月27日木曜日


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