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<学校と命>避難方針事前に共有を

◎大川小津波訴訟の教訓(2)判断

<重苦しい雰囲気>
 「自らの判断で児童の安全を優先し、裏山への避難を決断すべきだった」
 仙台地裁で26日にあった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決は、教員の判断ミスが児童の犠牲を生んだと指摘した。
 判決直後、「勝訴 子供たちの声が届いた!!」と書かれた横断幕を掲げた遺族だが、その後の記者会見は原告敗訴のような重苦しい空気に包まれた。
 最大の争点だった「津波の予見可能性」について、司法は襲来直前のわずかな時間しか認めなかった。「判決骨子」「判決要旨」「判決文」と読み進めるうち、遺族の落胆は深まっていった。
 津波を予見できたタイミングについて、地裁は市の広報車が高台への避難を呼び掛けた3月11日午後3時30分ごろと認定。津波が襲来した午後3時37分ごろまでの「7分間」限定で教員の過失を認めた。
 遺族側代理人の吉岡和弘弁護士は記者会見で「大津波警報が出たら子どもたちを避難させなければならない、という当たり前のことをきちんと認定してほしかった」と語気を強めた。
 地震から津波到達までの51分間、校庭のスピーカーは大津波警報の発令を伝え、教職員はラジオで津波の情報を得ていた。亡くなった6年生の男子児童は「先生、山さ逃げよう」と訴え、女性保護者は「津波が来る。山に逃げて」と叫んでいた。
 教職員と児童が北上川堤防道路(三角地帯)に向けて移動を始めたのは津波襲来の直前。授業で登ったことのある140メートル先の裏山は「小走りで1分、歩いて2分」(判決文)だった。

<疑問残ったまま>
 いくつもの警報や警告は避難行動に生かされず、司法は「津波襲来7分前」以前の「判断」は問題視しなかった。「なぜ、避難しなかったのか」。遺族の「なぜ」は判決後も疑問符が付いたままだ。
 「経験したことのない揺れに津波が来ると思った。校舎は倒壊しかねないと、注意されたが、子どもを守ることが最優先だった」
 海から3キロ離れた石巻市開北小の校長だった岸澄夫さん(66)は、校舎倒壊の危険性と津波被害のリスクを天秤(てんびん)に掛け、児童を2階、3階と上の階に避難させ、命を守った。
 石巻市内の小中学校64校のうち、1校を除き、市の津波浸水予想区域外にある。大川小を除く31校では、高台や校舎上階などに避難先を次々と変え、刻一刻と変化する緊急事態に対応した。
 下校時を除くと、学校の管理下で児童生徒が犠牲になったのは大川小だけだ。遺族の一人は「大川小では万が一、津波が来なかった場合を考えたのではないか。けがをしたときの責任問題を避けたかったのかも」といぶかる。
 早稲田大の西條剛央客員准教授(心理学)は「事なかれ主義は大川小に限った話ではない。協調性を重視し、リーダーシップが育ちにくい日本だからこそ、重要な避難方針を事前に共有すべきだった」と指摘する。
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 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小を巡る訴訟で、仙台地裁は26日、子どもの命を預かり、守る覚悟を学校に求める判決を言い渡した。2年7カ月に及ぶ訴訟や関係者の証言から教訓を探る。(報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


2016年10月29日土曜日


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