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<復興へのリレー>病に負けず向上心強く

車いすバスケの体験教室で伊藤さん(右)に丁寧に教える本田さん

◎石巻・スポーツの群像(4)車いすバスケットボール「宮城MAX」本田怜さん

 車いすバスケットボールの強豪「宮城MAX(マックス)」の副主将、本田怜(りょう)さん(30)がシュートを放つ。子どもたちが本田さんから教えを請う。
 仙台市宮城野区の体育館で8月にあった車いすバスケの体験教室。指導を受けた中学3年伊藤明伸さん(14)は「宮城マックスで一緒にプレーしたい」と声を弾ませた。幼稚園から車いす生活。今年6月に車いすバスケを体験するまで、思い切り車いすを走らせることはなかった。

<事故で脊髄損傷>
 本田さんは石巻市南境地区出身。歩いた記憶はほとんどない。1歳の時に交通事故で脊髄を損傷、3歳ごろから車いすが体の一部となった。幼少時は水泳に励み、高校では往復約6キロの通学路を車いすで通った。
 車いすバスケとの出合いは2001年、宮城県であった全国障害者スポーツ大会だ。中学生で水泳の県代表として出場した際、偶然、車いすバスケの練習を見た。「格好いいな」。高校から県内のチームで競技を始め、04年に宮城マックスへ移った。
 車いすバスケは障害の程度に応じて1〜4.5点の持ち点が与えられる。1点が最も障害が重い。コート内の5人の合計は14点以内と定められている。5人の組み合わせが戦略の鍵を握る。1点の本田さんは障害が軽い味方のプレーを生かすべく、攻守にわたり献身的に動く。
 大学時代、23歳以下日本代表として世界選手権で準優勝するなど順風だったが、暗雲が垂れ込める。背骨が極度に曲がって内臓などを圧迫する「側湾(そくわん)症」を患い、チームを離れた。
 それに東日本大震災が追い打ちを掛ける。仙台市の職場にいた本田さんは無事だったが、石巻市釜谷地区の親族が津波の犠牲となった。「いたたまれなかった。被害を受けた石巻のことを思うとつらかった」

<東京パラ見据え>
 15年1月、チームに戻った本田さんは、背中の痛みと闘いながら、ガードとしてレベルアップを目指した。チームには、リオデジャネイロ・パラリンピック日本代表のガード藤井新悟さん(38)=秋田県美郷町出身=らがいる。
 藤井さんは言う。「彼は30歳でチームの中堅。志があり、向上心が強いが、人の良さから控えめな面がある。もっと感情をむき出しにしていい」
 チームは今年5月、日本選手権で8連覇を果たした。本田さんは終盤に出場し初めて決勝の舞台を踏んだ。異様な雰囲気にのまれたが、貴重な経験を積んだ。
 「車いすバスケを通じて石巻を元気にできたらいい。20年東京パラリンピックでプレーすることが恩返しになる」。前を見据えて力を込めた。
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 東日本大震災の最大被災地、宮城県石巻市ゆかりの人々が東北のスポーツ界で活躍している。子どもから大人まで、選手や指導者、競技を支える住民…。震災からの復興を願いながら一線で奮闘する思い、群像を描く。(石巻総局・水野良将)


2016年10月29日土曜日


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