宮城のニュース

<史都再興>半世紀の調査成果次々

新たに発見された創建期の外郭南門の城壁跡を公開した現地説明会=9月、多賀城市市川

 宮城県多賀城市の多賀城跡が、多賀城廃寺とともに国の特別史跡に指定されて50年を迎えた。当初蝦夷(えみし)経略の基地と考えられたが、これまでの調査で古代東北の政治・軍事の中心地だと分かった。多賀城市では「外郭南門」の復元計画の機運が高まる一方、県も新たな整備計画を策定。史都再興に向けた動きが出ている。(多賀城支局・佐藤素子)

◎多賀城・特別史跡指定50年(上)積み上げ

<「鎮守府」が存在>
 今年2月、多賀城跡を調査する県多賀城跡調査研究所(多賀城市)は、政庁南側で鎮守府を示す「府」と書かれた文書箱のふたを新たに発見したと発表した。
 軍政を担う役所である鎮守府の存在が、同時代の遺物で明らかにされた。研究所の須田良平所長は「鎮守府の所在地の特定に近づく発見だ」と意義を語る。
 かつて多賀城跡は、朝廷の支配に従属しない蝦夷の反乱に備えた「とりで」と見られていた。1960年に始まった県教委と当時の多賀城町、河北文化事業団による調査によって政庁が軍事と政治をつかさどる国府級の建物配置だったことが明らかになり、66年に特別史跡になった。
 仙台平野が一望できる多賀城市北部の政庁跡がある市川地区と浮島地区を中心に指定され、指定範囲は追加分も含めて107ヘクタール。これを調査する研究所は69年に発足。本年度までに90次に及ぶ発掘調査によって、多賀城跡が約900メートル四方の堅固な城郭施設(外郭)で囲まれた国府跡で、政庁で4期にわたる変遷があったことを突き止めた。
 2009年以降は、多賀城市が多賀城のシンボルとして、2024年の創建1300年に合わせて計画する「外郭南門」の復元に向けた調査を実施。「政庁から外郭南門周辺までの建築は、かなり確定できた。最盛期の多賀城は規模も格式も上がり、蝦夷に朝廷の威容を示す場になっていた」と吉野武上席主任研究員。18年度以降は発見されていない創建期の外郭西辺と北辺を探す調査が始まる。
 研究所で調査にかかわり、東北歴史博物館長や県文化財保護課長を務めた進藤秋輝さん(72)は「成果を残せたのは地元の行政と住民が力を尽くしてくれたおかげ」と振り返る。

<完了分 まだ11%>
 約19.8平方キロの多賀城市には、特別史跡を含めて42カ所の遺跡が確認されている。79年に市教委は文化財専門職員を採用し、87年には県内初の埋蔵文化財調査センターを設置。研究所の協力を得ながら特別史跡外の調査を進めた。
 政庁から延びる南北大路と交わる東西大路、区割りされた平安時代初期の街並みや国司館(役人の住まいで行政なども行った)跡などの存在も市教委の調査で突き止め、多賀城が都に並ぶ重要都市だったことを浮き彫りにした。
 ただ、50年近い調査でも特別史跡の調査完了分は全体の11%。進藤さんは「創建期の外郭の様子や塩釜とを結ぶ奈良時代の道の存在など、多賀城には未解明な部分がまだある」と話す。


【国指定特別史跡】
 歴史上重要な施設などで学術上価値が高いと認められた遺跡「史跡」のうち、特に価値の高いものを「特別史跡」に指定する。平城宮跡(奈良市)、大宰府跡(福岡県太宰府市)など国内に61カ所。多賀城跡は多賀城廃寺とともに指定。その後の調査で館前遺跡(有力者邸宅跡)、柏木遺跡(多賀城直営の製鉄所跡)、山王遺跡千刈田地区(国司邸宅跡)が追加指定された。


関連ページ: 宮城 社会

2016年10月30日日曜日


先頭に戻る