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<学校と命>遺族に寄り添う姿勢を

固唾(かたず)をのんで石巻市議会の審議を見守る原告遺族ら=10月30日午後2時45分ごろ

◎大川小津波訴訟の教訓(5完)事後対応

<発生直後から溝>
 傍聴席から悲鳴が上がり、女性が両手で顔を覆った。
 原告遺族約20人が見守る中、宮城県石巻市大川小津波訴訟を巡る控訴関連の議案が10月30日夜、市議会臨時会で賛成16、反対10の賛成多数で可決された。
 「7分間で無事、全員を避難させられたとは思えない」。急きょ招集した臨時会で、亀山紘市長は学校の責任を認めた仙台地裁判決に不満をぶつけた。
 市の控訴方針が明らかになったのは28日午前9時ごろ。判決は26日午後3時に言い渡され、市長が判決文を手にしたのは同日午後7時半だった。わずか1日半での政治判断だった。
 亀山市長が「私にとっては非常に長い時間」と強弁すればするほど、遺族たちは「あまりに軽い決断」と怒りをあらわにした。
 石巻市と遺族の溝は、東日本大震災発生直後から広がる一方だった。
 市教委は、教職員11人中、唯一、生き残った男性教務主任や、助かった児童から聞き取った証言メモを廃棄した。犠牲になった6年生の男子児童が「先生、山さ逃げよう」と担任に必死に訴えていた事実は葬り去られるところだった。
 2011年6月の第2回保護者説明会では、亀山市長が「自然災害における宿命」と遺族感情を逆なでした。市教委が一方的に説明会を打ち切ると、会場に遺族の怒号が飛び交った。
 学校安全全国ネットワーク代表を務める早稲田大の喜多明人教授(教育法学)は「事故原因の究明は、身内の過失責任の立証につながる。情報隠しは全国共通の課題」と指摘する。

<中途半端な調査>
 大川小の第三者検証委員会は14年3月、「避難開始の意思決定の遅れなどが直接的な要因」とする最終報告書を市に提出した。遺族が望む「避難が遅れた理由」は解明されず、遺族自ら調査し、提供した情報も反映されなかった。
 喜多教授は「本来は第三者検証委が遺族の救世主になるはずが、中途半端な調査で逆に不信感を増幅させた」とみる。
 遺族は三回忌の前日、やり場のない怒りと失望、真相究明への最後の望みを司法に託した。
 裁判の争点で、遺族側は(1)津波を予見できたか(2)結果を回避できたか−に加え、遺族らの心情に対する配慮義務違反を挙げた。判決は、市側の「事後対応」に注意義務違反はなかったとして原告の主張を退けた。
 原告遺族の佐藤和隆さん(49)は「わが子を亡くした遺族の傷口に、さらに塩を塗る対応を教育関係者がしてきた。事後対応を反省しない限り、同じことが繰り返される」と懸念する。
 文部科学省は今年3月、大川小訴訟などを踏まえ、「学校事故対応に関する指針」を公表。「遺族に寄り添う姿勢」「信頼関係の構築」などの表現を多用し、遺族との情報共有や公平中立な調査を全国の教育委員会に求めた。
 策定に関わった京都精華大の住友剛教授(教育学)は「認識のズレは深刻な対立を生む。大川小の場合、遺族が抱える『なぜ』の解明は学校防災の教訓を引き出す上で重要な視点だった。行政や調査組織は遺族との対話を避けるべきではなかった」と強調する。
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 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小を巡る訴訟で、仙台地裁は26日、子どもの命を預かり、守る覚悟を学校に求める判決を言い渡した。2年7カ月に及ぶ訴訟や関係者の証言から教訓を探る。(報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


2016年11月01日火曜日


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