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<復興を生きる>耕野の温もり伝える

地域の若者と企画した「まちセン喫茶」でスイーツを提供する小笠原さん(右)

◎3・11大震災/復興支援員 小笠原有美香さん=宮城県丸森町耕野

 よそ者に温かい。地域の懐の深さを感じる毎日だ。
 東京電力福島第1原発事故の放射能汚染被害を受けた宮城県丸森町耕野で、小笠原有美香さん(33)は復興支援員を務める。9月で着任から3年。地区の魅力発信やイベントを積み重ねて再生の一翼を担う。

 耕野まちづくりセンターを1日限定のカフェにする「まちセン喫茶」が9月下旬に開かれた。笑顔で客にドリンクやスイーツを提供する小笠原さん。「地域の若者と、気楽に楽しめるまちづくり活動をしたい」と5月に続いて企画した。
 アフリカのザンビアからの農業研修生の来町など、地域の話題を取り上げる新聞を毎月発行する。1日で38号を数えた。
 みそ作りの行事を開くのは農家の女性の知恵を継承するのが狙い。今月本格化する特産の「ころ柿」づくりの援農ボランティアの募集宣伝を手掛け、高齢者の見守り活動に参加する。今や耕野に欠かせない存在だ。

 千葉県出身。地域づくりに関心があった大学3年の夏、知人の紹介で耕野の養蚕実習に参加した。住民と盆踊りで交流し、「田舎は閉鎖的と思っていたが、こんなオープンな地域があるとは」と驚いた。
 卒業後は米穀店などを転々とし、東日本大震災当時は千葉県内の自然食品店に勤めていた。原発事故の風評で、東北以外の産地の品を選ぶ客が少なからずいた。「自分も含めて放射能についてよく分からないまま不安が先に立っていた」と振り返る。
 養蚕実習を企画した一人の養蜂業石塚武夫さん(45)から連絡があった。町で初めてとなる復興支援員を探していた。心配する知人もいたが、「耕野の人から良い思い出をもらうばかり。困っている人々の役に立てるなら」との思いが強く、引き受けた。
 住民の温かさは初めて訪れた時と変わらない。自然と不安は消えていった。
 耕野は原発事故で十数人が自主避難。過疎化に拍車が掛かり、事故前から5年半で約150人減少し約700人になった。特産のタケノコは2014年の解除まで出荷制限が続いた。
 苦境も見詰めてきた小笠原さんは「外の人間を受け入れてきた地域の土台がある。自由に活動させてもらっている」と言う。
 「ささやかでも耕野の良さを伝え続けることで愛着を持つ人が少しでも増えてほしい。それが復興であり、自分にできる恩返し」。思いは根付き始めている。(角田支局・会田正宣)


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2016年11月02日水曜日


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