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<復興へのリレー>負けた理由 追求したい

山形大会準々決勝で、ナインに指示を出す高橋さん(左端)

◎石巻・スポーツの群像(5)高校野球 九里学園高監督・高橋左和明さん

 山形県中山町の野球場に7月、宮城県石巻市雄勝町出身の高橋左和明(さわあき)さん(45)の姿があった。宮城県の強豪・仙台育英高で甲子園の土を踏み、今は九里(くのり)学園高(米沢市)の野球部監督として部員を率いる。
 全国高校野球選手権山形大会の準々決勝。九里学園高は山形中央高(山形市)に4−9で敗れ、初の4強入りを逃した。
 高橋さんは約60人の部員に告げた。「勝負の厳しさを思い知らされたと思う。これをいい経験にして、次に向けて歩んでほしい」

<高校時代が原点>
 仙台育英高から順天堂大や米国留学を経て、2000年から九里学園高で指揮を執る。部員は当初わずか3人。地元出身者らを鍛え上げ、13年と今年、春季東北大会に出場した。
 指導者の原点は高校時代にある。入部時の部員は200人に上った。休みを返上して野球に没頭し、当時の竹田利秋監督(75)へ必死にアピールした。
 努力が報われ、1989年春の選抜大会で主将を務め、遊撃手として全3試合に先発した。だが、その年の夏、高校最後の甲子園では控えに回り、出番がなかった。
 仙台育英高はエース大越基さん(45)を擁して決勝へ進出するも、帝京高(東京)に0−2で屈した。高橋さんはベンチで涙ながらに謝った。「優勝監督にできず、すみません」。竹田さんに頭を優しくなでられた。
 「恩師にはよく怒られたが、礼節や自然体の大切さ、細やかな気配りなど人としての生き方を学んだ」
 11年3月に東日本大震災が発生。石巻市雄勝町を襲った津波は実家や甲子園の準優勝メダルをのみこみ、雄勝中野球部の同級生の命も奪った。
 九里学園高の部員らと古里を訪れ、がれきを撤去した。生きていることに感謝することが大事。この経験を糧に何ができるのか考えてほしい−。そう願った。

<甲子園で対戦を>
 山口県へ遠征した14年、久しぶりに同期の大越さんと会った。プロ野球のダイエー(現ソフトバンク)を引退後、09年から同県の早鞆(はやとも)高野球部監督を務める。
 2人は酒席で思い出を語り合った。高橋さんは何度も尋ねた。「なんで帝京に負けたんだろう」。大越さんは「何でやろな」と取り合わなかった。
 高橋さんは胸にしまっていた思いをぶつけた。「おまえはプロで野球をやった。俺たちはあそこで野球が終わったんだ。負けたからこそ理由を追求したい」。大越さんの目から涙がこぼれた。
 大越さんは「心をえぐられた。自分は『やりきった』と気持ちがすっきりしていたから」と明かす。
 いつか、監督として甲子園の舞台で戦う。それが2人の目標となった。
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 東日本大震災の最大被災地、宮城県石巻市ゆかりの人々が東北のスポーツ界で活躍している。子どもから大人まで、選手や指導者、競技を支える住民…。震災からの復興を願いながら一線で奮闘する思い、群像を描く。(石巻総局・水野良将)


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2016年11月02日水曜日


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