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<復興へのリレー>戦禍と災禍越え楽しむ

円盤投げの練習に汗を流す中塩さん

◎石巻・スポーツの群像(10)陸上 中塩善治郎さん(93)

<全盛期は兵役に>
 宮城県石巻市北村の中塩善治郎さん(93)は戦禍と災禍をくぐり抜け、陸上が生きがいとなっている。
 マスターズ陸上界の第一人者。重量投げ(90〜94歳)で6メートル07の日本記録を持つ。自宅の裏山で週4日練習し、ハンマーや砲丸、円盤を投じる。「陸上は人生そのもの」と語る。
 同市穀町出身。小学生の頃に陸上を始め、主に短距離走に力を注いだ。旧石巻中(現石巻高)を経て1941年、早稲田大へ進学。陸上で五輪を目指す選手がごろごろいた。
 太平洋戦争が激化し、多くのスポーツが禁じられたが、公式陸上競技会として認められた慶応大との戦いで、中塩さんはリレーに3走として出場。バトンを託したアンカーの選手はその後、戦地で命を落とした。
 短距離走者としての全盛期は兵役で過ぎていった。45年8月15日。福岡県門司市(現北九州市)の陸軍経理部で終戦を迎え、列車を乗り継いで帰郷した。「やっと平和がやってきたんだな。私は運が良かった」。もはや五輪出場という夢や希望はなくなっていた。

<マスターズ参加>
 戦後は地元の高校で教員として社会科を教え、陸上部顧問を務めた。その傍らで国内の陸上大会に参加。50代の時、中高年対象の大会があると知った。「戦争中に思うように陸上ができなかったことに対する恨みつらみがあった」
 マスターズ陸上に情熱を燃やした。肉離れやアキレス腱(けん)を痛めた影響で67歳の時、短距離走を続けることを断念。投てきに活躍の場を移し、国内外の大会で実績を残した。
 87歳になった2010年、東北大会で一人の「鉄人」と出会う。釜石市の故下川原孝さん。周りに勧められて99歳でマスターズ大会に初出場し、その後、投てき3種目で100歳以上の世界記録を打ち立てた。
夢は「世界記録」
 11年3月11日。「105歳まで頑張る」と語っていた下川原さんは、志半ばで東日本大震災の津波の犠牲となった。104歳だった。
 下川原さんと親交があった釜石マスターズ陸上競技協会会長の多田慶三さん(80)は「下川原先生は暇さえあれば体力づくりに励んでいた」と振り返る。「『105歳以上の世界記録を作ったら、それでいい』と話していただけに、惜しい人を亡くした」としのぶ。
 105歳以上の世界記録達成−。下川原さんの遺志は今、中塩さんの夢の一つになっている。
 「戦争と震災を経てスポーツを楽しむことができるのは良いこと。年を取るのが楽しみ」と中塩さん。命ある限り陸上を続け、さらなる高みを目指す。
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 東日本大震災の最大被災地、宮城県石巻市ゆかりの人々が東北のスポーツ界で活躍している。子どもから大人まで、選手や指導者、競技を支える住民…。震災からの復興を願いながら一線で奮闘する思い、群像を描く。(石巻総局・水野良将)


2016年11月10日木曜日


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