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<私の復興>笑いの先に地域再生

集会所に集まった地区の高齢者と談笑する門馬さん=東松島市矢本

◎震災5年8カ月〜東松島市・二反走シニア笑学考代表門馬善道さん

 真新しい住宅が並ぶ街の一角から、笑い声や、明るい話し声が響く。追い求めているものは、その笑いの先にある。
 宮城県東松島市矢本の二反走(にたんばしり)地区の集会所で毎月2回、「二反走シニア笑学考(しょうがっこう)」を開く。談笑の輪にいる会員48人は全員、東日本大震災で被災した高齢者。防災集団移転で同地区に新居を構えたり、災害公営住宅に入居したりした。
 「少しでも打ち解けてほしい」。新住民が知り合う機会にと、笑学考は2015年11月の発足以来、クリスマス会や新年会、節分の豆まきといった季節の行事をはじめ、体操やゲームを取り入れたお茶会を催してきた。
 たわいない笑いの裏には悲しみやつらさもある。15年7月、地区の災害公営住宅で、70代の男性が誰にもみとられず亡くなった。入居わずか1カ月後。地区のみんながショックを受けた。
 「地域から二度と孤独死を出さないよう、高齢者を見守る組織をつくってほしい」。民生委員を務めた経験を買われ、自治会の役員らから懇願された。笑学考発足のきっかけだ。
 大役が務まるか不安だった。それでも引き受けたのは、自らも震災で人生観が変わったからだ。

 震災当日は石巻市立病院にいた。大腸がんの手術前の検査入院中。そこへ津波が押し寄せた。病院は孤立、極限状態に陥った。
 手術どころではない。数日後、自力で病院を脱出し、避難所などに身を寄せた。発生から2週間後、がれきをかき分けてたどり着いた東松島市宮戸の自宅は、基礎だけを残してすっかり流されていた。
 「何もかも失い、自分はゼロになった」。大病、津波の恐怖、自宅流失。価値観が一気に崩れた。「ゼロになった自分に何があるか」。自問の日が続いた。
 幸い、妻(68)や当時同居していた次女(33)は無事。がんの手術も震災の約1カ月半後、八戸市で暮らす長女(36)の助けを借りて同市内の病院で受け、成功した。

 3年半の仮設住宅暮らしを経て14年暮れ、二反走に自宅を再建し移り住んだ。地区は市内各所の被災者の寄り合い所帯。見知らぬ人ばかり。高齢者は環境になじめず、引きこもりがちだった。
 自問の答えが見えた。
 「人間、最後に残るのは生身の体と、人とのつながりだけ」。壊れた物が直っただけでは、地域は復興しない。「少しずつでいい。地域につながりを生み出そう」。笑学考の原点だ。
 「お茶会が何よりの楽しみ」。最近、参加者からそう言われることが増えた。27日で設立から1年を迎える。「互いに声を掛け、お年寄りがいつまでも元気な地域に」。悲しみを乗り越える笑いの先には、再生した地域の姿がしっかりと映る。(報道部・武田俊郎)

●私の復興度・・・50%

 新たな住まいに移り、暮らしの復興が進んだように感じられる。でも、多くの住民は新しい環境にまだ慣れていない。特に適応力が衰えた高齢者は気持ちがふさぎ込みがち。知らない住民同士、互いに遠慮が先立ち、あいさつ一つしづらい。震災前のように明るい気持ちで暮らすには「心の復興」を進める必要がある。


2016年11月11日金曜日


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