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<岸FA>宮城でプロへの礎 10年前も悩む

仙台六大学野球春季リーグで、東北学院大を35季ぶりの優勝に導いた岸投手=2006年5月21日、東北福祉大球場

 プロ野球西武のエース、岸孝之投手(31)=東北学院大出=が11日、フリーエージェント(FA)宣言選手として東北楽天との交渉のテーブルに着く。プロ野球入りを決断する際、東北楽天に心を動かされながらも断念した過去を持つ。宮城に育ちプロに至った岸選手の道のりを振り返る。
 岸選手はしなやかなフォームからのカーブと速球による緩急が持ち味で、プロ10年間の勝利数は103。宮城県出身投手として通算100勝を挙げたのは1970年の若生智男氏(阪神など)以来2人目だ。
 岸選手は少年時代から決してエリートコースを歩んだわけではない。
 社会人野球の七十七銀行で監督経験のある父、孝一さん(68)の教えを受け、仙台市西中田小の高学年で投手になった。
 柳生中時代は3年の市中学総体で初戦敗退。宮城県内の強豪私立高の推薦を得られず、自宅から比較的近い名取北高へ進んだ。3年生の2002年夏には、東北高の雄平外野手(ヤクルト)が投手として注目を浴びた宮城大会の2回戦で仙台二高に敗れ、甲子園の夢は散った。
 しかし、この大会こそがしぼみかけた野球人生に光を注ぐ。1回戦の多賀城高戦で五回参考記録ながら無安打無得点に封じる好投を見せ、当時の東北学院大監督、菅井徳雄さん(59)の目に留まる。相手の4番打者の父親が菅井さんだった。
 「実に投手らしい投手。素晴らしい腕のしなり」と素質にべたぼれした菅井さんは、帰り足で名取北高に直行して学校側に思いの丈を伝えて勧誘した。
 4年生の06年、最速152キロ右腕として一気に花開く。仙台六大学野球春季リーグで東北福祉大を倒し、母校に35季ぶりの優勝をもたらす。
 同年秋の大学・社会人ドラフトは一躍目玉に。岸選手は入団先を自ら決められる希望枠の対象選手となり、05年創設の東北楽天と西武からラブコールを受けた。
 悩んだ末の結論は西武。「無名の自分を最初に評価してくれた」という水沢英樹スカウト(秋田県仙北市出身)への恩義だった。東北楽天にも「地元でプレーしたかったし、誘いは光栄だった」と後ろ髪を引かれた。当時の島田亨球団社長らとぎりぎりまで交渉を続け、断りを入れる際も高評価への感謝を忘れなかった。
 あれから10年。岸選手は「来季、より必要としてくれる球団でプレーしたい」と語る。(スポーツ部・金野正之)


2016年11月11日金曜日


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