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<震災5年8カ月>苦楽…仮設菜園忘れない

当時の入居者の仲間と菜園を訪れた小野さん(手前)

 入居5年の苦楽をすき込んだ「仮設菜園」との別れが近づく。仙台市内のプレハブ仮設住宅から10月、東日本大震災の被災者が全て退去した。11日で震災から5年8カ月。宮城野区の仙台港背後地6号公園仮設住宅では、間もなく始まる解体、撤去を控え、かつての入居者が空き地で育てた花や野菜と最後の触れ合いを楽しんでいる。
 駐車場脇の縦30メートル、横5メートルほどの広さにナスやトマト、キクやコスモスがパッチワークのように植えられている。数百メートルに及ぶ敷地外周のわずかなスペースにも、さまざまな花が咲く。
 「畑がなかったら、被災のつらさに耐えられなかったかも」。小野とみ子さん(73)が言う。10月3日、2011年6月から暮らしたこの仮設住宅を去り、同区田子西の新居に移った。
 津波で同区蒲生の家を失った。多くの親類、知人を亡くした。各地の被災者が集まる仮設住宅は見知らぬ人が多く、傷心のまま部屋に閉じこもる日が続いた。
 転機は12年春。「暖かくなり野菜でも植えたいなと思った」。自分の駐車スペースに接した荒れ地を少しずつ耕し始めた。
 草を抜き、砂利を拾い、苗を植えた。花の種をまいた。気持ちがだんだん晴れた。なったキュウリをお裾分けする。花がきれいだと褒められる。自然と知り合いが増えた。耕作仲間が生まれ、菜園が広がった。
 仲間の一人、斎藤カヨ子さん(68)は「『とみ子ガーデン』と呼んでいた。土をいじると楽しい。菜園は仮設になくてはならない存在だった」と語る。退去後も小野さんらは声を掛け合い、折々に菜園を訪れる。
 100戸全てが埋まり、被災者207人が暮らした仙台港背後地6号公園仮設住宅。市仮設住宅室によると、今月15日以降、解体が始まり、公園予定地だった震災前の更地に戻る。他に17カ所ある市内の仮設住宅も2017年3月末までの撤去完了を予定する。
 「悲しくて苦しい時期もあった。仮設がなくなるのは復興が進んだ証し。でも寂しさもある。友達ができたし、全国からたくさん支援を受けた。いろいろな思い出は一生の宝物」と小野さんは話す。置いていくのがかわいそうと、花をできる限りプランターに移した。新居の菜園で今、根付き始めている。


2016年11月12日土曜日


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