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<斎藤春香>エリート街道歩まず

青森県中学総体で力強い打撃を見せる斎藤=1984年7月、八戸市
斎藤がシドニー五輪で獲得した銀メダルを首に掛ける母セイ子(中央)と父英春(左)=2000年10月、弘前市の自宅

 日本ソフトボール界を引っ張った斎藤春香。今も多くの人に慕われ、東京五輪に向け表舞台での活躍を期待する声も少なくない。栄光の軌跡を封印し、古里に根を張って競技普及に身をささげる。その闘いをつづる。(敬称略)

◎敗れざる人(2)じょっぱり/自分が入って強くすればいい

 スケールの大きな打撃と自主性を重んじた指導の原点は青森県津軽地方にあるのかもしれない。秀峰岩木山のように泰然と、そして柔和で細やか。気配りもある。酒席では方言丸出しで津軽出身の歌手吉幾三の曲を熱唱し場を和ませる。

<謙虚さ 大病に学ぶ>
 ソフトボール元日本代表、斎藤春香(46)=弘前市職員=。現役時代は自分流の練習を貫いた。元代表監督の宇津木妙子(63)は「頑固で自分のペースを崩さない。合宿では一番に風呂に入りマッサージを受け、素振りをし、枕元にバットを置いて寝た」と苦笑する。続けて「黙々と雪の中を歩く姿が浮かぶ。強情っ張りで自信があったから監督が務まった」とも。
 斎藤の父英春(73)は「性格は、くよくよせず決断が速かった母親(故セイ子さん)似」と話す。出生時の体重は4700グラムと破格。テレビアニメ「巨人の星」やプロ野球中継を見て育った。巨人王貞治の大ファン。暇さえあれば壁に向かってボールを投げた。
 指導者の資質は小学時代に垣間見ることができる。英春によれば「面倒見は良いが、自己主張して親の言うことを聞かないこともあった」。それが元代表総監督の井川英福(72)の評である「思慮深く謙虚」な面も併せ持つようになったのが、小学4年で内臓の大病を患ったことが大きい。
 3カ月絶対安静。小学校卒業まで運動を制限された。「再発しやすく一生運動は無理かも」と医師に言われ、「絶望感でずっと病院で泣いた」と言う。この時、毎日励ましてくれた親の愛情に接するとともに、病院で闘病する子どもと過ごし「思いやりを学び、苦しいのは自分だけではないと思った」と振り返る。

<高校で自立心育む>
 中学に入って恐る恐るソフトボールを始めたにもかかわらず、強打者として地域に知られた。強豪校からも誘いがあったが、教員志望だったため、文武両道の進学校弘前中央高へ進学。ここで部顧問の須郷紘輔(73)=現弘前市ソフトボール協会長=に出会う。
 前任校で弱小ラグビー部を県上位に育てた熱血漢。ラグビーの「One for all、all for one」精神を部員に教えた。一人の仲間、または全体を生かすために、自分は何をすべきかを考えさせ、自立を求めた。
 大学は東京の体育大へ進みたかったものの経済的理由で断念。そこでソフトで身を立てることを考えた。ベスト4入りした沖縄国体(3年時)の活躍もあり、複数の実業団が声を掛けてくれた。
 選んだのは創部3年目で日本リーグ3部(当時)の日立ソフトウェア。かつて高校も「自分が入って強くすればいい」と思っただけに、「3年で1部に昇格し優勝しよう」と口説かれたことに首を振る理由はなかった。
 用意されたエリート街道を歩んだのではなく、自分で道を切り開いてきたと言えよう。「やっぱり『じょっぱり』なのかな」と津軽弁で意地っ張りを意味する言葉を用いて半生を顧みた斎藤。古里では今年も冠雪する岩木山の姿があった。(敬称略)


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2016年11月23日水曜日


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