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<雄勝に生きる>後継者を育て古里守る

殻付きカキの出荷に向け、船上で作業する寿之さん

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市雄勝町で、今日も漁師たちが海に向かう。地域の芸能を後世に残そうと未来を見据える人々がいる。高齢者たちがお茶を飲みながら歓談する。震災から5年8カ月。冬が近づく古里に心を寄せる。(石巻総局・水野良将)

◎半島の再生記(3)/(上)支え合う

<昨年3月 父失う>
 雄勝町立浜地区の漁港で、漁師杉山寿之さん(37)が水揚げしたばかりの殻付きカキを品質や大きさに応じて手際よく選別する。近くの加工場で洗浄、殺菌し、箱詰めにする。
 創業30年の「カネナカ水産」の社長を務める。カキを中心にホタテも取り扱い、仙台、塩釜両市や新潟県の水産関係者から注文を受け、出荷する。
 「常に売り先があるのはありがたい。生産量はおやじの時代の約7割。自分はまだいっぱしじゃない」
 大学卒業後、家業を手伝ってきた。会社や取引先は昨年3月に亡くなった父の滝夫さん=当時(64)=から継いだ。滝夫さんは海に転落し、命を落とした。

<養殖業者は半減>
 立浜地区は養殖が盛んだ。終戦後に、末永勝紀さん(78)と仲間が養殖組合を設立。ワカメやホタテ、ホヤなどの養殖に力を注いできた。
 震災の津波で浜は大きな痛手を受けた。約70隻あった船の多くが流失し、約30人いた養殖業者は半数近くにまで減った。
 逆境だからこそ、団結して立ち向かおう−。海の男たちは共同で養殖いかだを作り、海中から船を引き上げて修理。大きな被害を免れた船で資材を手配した。
 2011年秋ごろ。滝夫さんは寿之さんに養殖を再開するかどうか、尋ねた。「やんのか?」。「やる」。寿之さんは一言答え、決意を伝えた。
 「人と人とのつながりを大事にしろ」。酒に酔うと出てくる滝夫さんの口癖だった。仕事には厳しい父親だった。
 震災で船だけでなく自宅も失い、家族は長い間、仮設住宅での生活を余儀なくされたが、寿之さんは今年7月、立浜地区の高台にある防災集団移転団地の住宅へ移った。12年1月に結婚した妻奈保美さん(32)、長男秀斗ちゃん(1)と暮らす。
 岩手県内陸部から嫁いだ奈保美さんには、浜の生活によくなじんでくれていると感謝する。秀斗ちゃんが望めば、海の仕事をやらせてもいい、と思う。

<親の跡継ぐ動き>
 あの日、古里を襲った海だが、古里はいつも海と共にある。立浜地区では震災後、20〜30代の若者が漁師の親の跡を継ごうとする動きが出てきた。
 末永さんは9月、仮設住宅から防集団地へ引っ越した。養殖を続ける傍ら、自治会組織「立浜共和会」の会長を担う。
 「昔から立浜は住民同士の結び付きが強く、共存共栄してきた。後継者を育てていきたい」
 古里を守る。その人づくりが大切だと身に染みて感じている。


2016年11月24日木曜日


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