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<斎藤春香>鋭い読みで好球必打

シドニー五輪予選リーグのカナダ戦で延長10回、勝ち越し適時二塁打を放つ斎藤。これで日本初のメダルが決まった=2000年9月21日、ソフトボールセンター

 日本ソフトボール界を引っ張った斎藤春香。今も多くの人に慕われ、東京五輪に向け表舞台での活躍を期待する声も少なくない。栄光の軌跡を封印し、古里に根を張って競技普及に身をささげる。その闘いをつづる。(敬称略)

◎敗れざる人(3)世界の大砲/上を越えればいい

 ハルカ・サイトー。1996年アトランタ五輪ソフトボールで3打席連続本塁打を放ち、その強打者の名は一躍世界に知れ渡った。
 斎藤春香(46)=青森県弘前市職員=は173センチ、70キロと大柄な選手だった。一見、力任せにブンブン振り回すタイプに見られるが、多くの関係者は「想像できないほど繊細」「ものすごい研究心を持つ」「まるで求道者」と評する。

<先頭打者弾で勢い>
 元代表監督の宇津木妙子(63)は「『好球必打』は斎藤のためにある言葉。初球でも好球は必ず打つ」と言う。我慢強い選球と並外れた集中力がなければ好球必打はあり得ないわけで、宇津木が斎藤に「黙々と雪の中を歩く姿」をダブらせるのは理解できる。厳しい津軽の風土が「世界の大砲」の礎につながったといえる。
 面白いデータがある。2000年シドニー五輪で、打率1割8分2厘ながら全6安打のうち2本塁打、2二塁打で長打率は7割近い。本塁打はいずれも一回の先頭打者。「相手に重圧をかけ、チームに勢いをつける」(宇津木)役目を見事に果たした。じっと待ち、打つべき時に打つ−。こんな打者像が浮かび上がる。
 斎藤の打撃における理想はプロ野球元巨人の王貞治(現ソフトバンク球団会長)。モットーは「より遠くへ。2ストライクでも球を見極め、振り抜く」。中学や高校時代、敵チームが左打者対策で右寄りに深く守る「斎藤シフト」を敷いたら「上を越えればいい」と気にせず引っ張り続けた。
 豪快さの裏で光るのが鋭い読みと観察力だ。投手の次の一球を読むため、投球動作だけでなく息遣いや性格、試合状況、守備位置とあらゆるところに目を配った。監督を務めた08年北京五輪で日本が米国の主戦オスターマンを攻略できたのも、球種を見抜いたからだ。

<ここ一番に懸ける>
 「強豪の一線級は精神論では打てない。球速、持ち球、カウントごとの球種など全てを分析し、1球で仕留める技術と執念が必要」と説く。だからこそ高い技術を得ようと必死にバットを振った。
 打撃の好調時、「ボールのマークが読めた」「相手の決め球を打つイメージが頭に浮かんだ」という境地に達したという。
 北京五輪の主将で今も代表メンバーの山田恵里(32)=日立=は斎藤の功績をたたえる。「考え方、技術は世界に通用した」。斎藤によって日本代表の打線のレベルは世界水準に引き上げられたとも言えよう。
 そんな斎藤も、不思議にも日本リーグで傑出した記録を残していない。現役最後の04年まで1部を計14シーズン戦い、通算本塁打15本(当時歴代6位)。打率は3割台がほとんどなく、タイトルも打点王1回、ベストナイン4回。
 なぜなのか。実業団6年目の93年、過度な筋力トレーニングで右肩を壊した。遊撃手だっただけに引退も考えた。父英春(73)は「好きで入った道。もう少し頑張ってみたら」と助言したが、思い詰めた娘の姿を今も覚えている。
 斎藤は覚悟を決めた。バットで生きていく。しかもアベレージを求めるのでなく、勝負強い打撃で、ここ一番での一発に懸けた。
 世界の大舞台は斎藤に似合っていた。(敬称略)


2016年11月24日木曜日


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