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<塩釜神社>幕末に巨大常夜灯の建設計画

高さ約12メートルの常夜灯の図面。分割されていた図面をデジタルカメラで撮影し、組み合わせた(佐藤准教授提供)
塩釜神社の境内に残る石造りの台座。塩釜港を見渡せる高台にあるが、現在は立ち入り禁止になっている

 宮城県塩釜市の塩釜神社境内に幕末、国内最大級の常夜灯の建設計画があったことが、東北大災害科学国際研究所の佐藤大介准教授(江戸時代史)の研究で分かった。計画地は塩釜港を見渡せる高台で、石造りの台座が完成したところで中止された。台座は今なお残っている。佐藤准教授は「塩釜港を拠点にした交易をさらに活発にするために、船の出入りを導く巨大な灯台が必要だったのではないか」と推測する。

<六角形の台座>
 佐藤准教授は、仙台市太白区の茶舗経営大竹誠一さん(75)方に伝わる古文書の中から、「六角正面図」と記された図面を見つけた。分割されていた図面をデジタルカメラで撮影して組み合わせると、常夜灯の姿が浮かび上がった。
 記述されていた寸法によると、高さは約12メートル。六角形の台座の一辺は約3.3メートルで、今も残る台座と一致した。完成していれば、現存する国内最大級の広島県福山市鞆港の常夜灯(高さ約9メートル)を上回る構造物だったとみられる。
 大竹家は18代続く旧家。13代の徳治は藩制時代、仙台藩の財政全般に携わる商人だった。古文書には、徳治が慶応元(1865)年に記した「諸事手控帳」が残り、常夜灯建設に必要な石や板ガラスなどの資材が記入されていた。当時の塩釜の財界人が油の提供を約束する文書も見つかった。

<建設中止は謎>
 なぜ、巨大な常夜灯を造ろうとしたのかを説明する資料は残っていない。徳治は明治維新直後、宮城、山形両県の県境をつなぐ二口街道の拡幅工事に携わったことから、佐藤准教授は「山形と塩釜を結ぶ新たな交易構想の一環として計画したのではないか」とみる。
 建設を途中でやめた理由も明らかになっていない。誠一さんは祖父から「当時の塩釜神社の有力者が、塩釜不在中に進んだ計画に立腹した」と聞いたという。「実際には、間もなく戊辰戦争(1868〜69年)が始まり、常夜灯建設どころではなかったと思う」と推測する。


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2016年11月29日火曜日


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