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<あなたに伝えたい>「避難所に帰る」最後の言葉に

夫の思い出を語るトヨ子さん。昭男さんは脳出血で倒れた時、仙台市の百貨店内にある菓子店の店長だった

◎伊藤トヨ子さん(宮城県亘理町)昭男さんへ

 トヨ子さん 震災が起きたあの日、長女が家族で来ていました。病気の影響で、震災の5年前に両脚を切断していたお父さんを長女と車に乗せて、近くの小学校に避難しました。
 夜は持ち込んだ毛布1枚だけ。とても寒かったですね。震災翌日の3月12日、おむすびが配られたようでしたが、自分たちには届きませんでした。
 13日、夫婦でボートに乗せてもらい、内陸の避難所に移りました。右半身が動かず、言葉もほとんど話せないお父さんは、すぐに入院することになりました。病室では付きっきりで介護をしました。
 震災から約2カ月後の5月10日ごろ、介護施設に移りました。そこでは、私は一緒にいることができませんでした。食事の時、特にコミュニケーションが必要なのですが、うまくいかなかったみたい。2週間後の24日に急に具合が悪くなり緊急入院しました。私は避難所から駆け付けました。「避難所の消灯が9時だから帰るね」。そう話し掛けたのが最後でした。
 優しい人でした。50代半ばで脳出血になった後も変わりませんでした。家に来たお客さんが菓子に手を付けないと、言葉が出ないのに一生懸命、動く左手で勧めていました。
 昨年、町内の災害公営住宅に1人で入りました。震災がなければ、今も2人で生活していたでしょうね。でも、大丈夫。長男家族も、仮設住宅の時の友達も近くにいますから。
 仏壇に毎朝、手を合わせます。今朝、「記者さんが来るよ」と話し掛けたら、「うまく話せるといいね」と言ってくれたような気がしました。

◎脳出血で倒れた後も優しかった夫

 伊藤昭男さん=当時(79)= 宮城県亘理町長瀞新海岸の自宅で妻トヨ子さん(81)と2人で暮らしていた。当時、脳出血の後遺症で介護が必要だった。東日本大震災の津波からは逃れたが、避難生活で体調を崩し、仮設住宅に夫婦で入居する直前の2011年5月25日、肺炎で亡くなった。


2016年12月04日日曜日


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