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<八甲田雪中行軍>十和田の七勇士後世へ

補修工事を終えた七勇士の石碑=4日、十和田市深持

 199人が犠牲になった1902年の旧陸軍青森歩兵第5連隊の八甲田山雪中行軍遭難で、同時期に八甲田山系を踏破した弘前歩兵第31連隊の案内役を務め、十和田市で「七勇士」と呼ばれた先人を顕彰する石碑の補修が終わり、4日、関係者に披露された。旧大深内村の青年7人の偉業は、1世紀以上を経た今なお地元で語り継がれる。

 石碑は「東(とう)道(どう)旌(せい)表(ひょう)碑(ひ)」と文字が刻まれ、31年に地元青年団が建立した。東道は案内役、旌表は表彰を意味する。これまで2回移設され、今は同市深持の県道40号沿いの県有地にある。石碑を支える台座が長年の風雪と経年劣化で傷み、倒壊の恐れが生じていた。
 所有する柏地区連合町内会は昨年、資金難から市に補修費の補助を相談。市は文化遺産として保存を決め、今年8月に無償で石碑を譲り受け、約240万円で台座を補修した。
 雪中行軍で、七勇士は弘前隊の先頭で雪をこぎ、青森隊と同じ行路を反対側から進んだ。将兵と案内役の全員が生還を果たしたが、青森隊の悲劇があったことから弘前隊の偉業は世に広められず、7人は「(八甲田山系を踏破した)過去2日間のことは絶対口外すべからず」と命令され、以後28年間にわたり口をつぐんでいた。
 町内会は七勇士をたたえ、雪中行軍があった1月に毎年参拝している。地元の市民団体も昨年、市内で企画展を開いた。
 4日は関係者約50人が補修完了を祝った。町内会長の福沢繁雄さん(72)は石碑を前に「七勇士を誇りに思い、子孫に語り継ぐのが大切。市に寄贈する形になったが、清掃活動を通じて保存に協力する」と語った。


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2016年12月08日木曜日


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