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<私の復興>特産継承へ孤軍奮闘

カキを選別する桜井さん=宮城県利府町の浜田漁港

◎震災5年9カ月〜宮城県利府町・浜田カキ生産組合代表 桜井博之さん

 殻に付いた海藻やフジツボを取り除き、サイズ別にコンテナに放り込む。松島湾に面する宮城県利府町の浜田漁港。カキの最盛期を迎え、漁業者の朝は早い。
 浜田カキ生産組合は、地元の漁業者が養殖から販売までを担う。漁港の一角でむきガキを小売りしながら「焼き処(どころ)」を営む。
 生産量は少ないが、週末は仙台市などから訪れる客が列を成す。
 「お客さんが来るまでに準備しないと」。底冷えのする漁港で、代表の桜井博之さん(53)がせわしなく手を動かす。
 昨年春、漁業の父俊一さんが亡くなり、カキ養殖と生産組合の代表を引き継いだ。それまでは、自宅に隣接する自営の料理店「やすらぎ」で、俊一さんが捕った魚をさばいていた。
 忙しいときは手伝っていたが、「漁業を継ぐ気はなかった」と苦笑する。

 5年9カ月前、浜田漁港には2メートル近い津波が押し寄せた。自宅は全壊。船や養殖設備も被災し、浜に打ち上げられた種ガキを俊一さんらと拾い集めた。
 自宅の再建、設備の復旧などに費用がかかり、貯金を取り崩す生活が続いた。ようやく店を再開しても、東京電力福島第1原発事故が影を落とした。
 看板だった地場の新鮮な魚が出せない。離れていった客足は戻らない。「店が順調なら、カキはやっていなかったかもしれない」。今は店を休業してカキに専念する。
 高齢化が進む浜田地区。経験豊富な漁業者は近年、相次いで体調を崩した。震災前は4軒がカキを生産したが、今年は2軒。そのうち1軒は来年の分を作らない。浜田のカキが唯一の後継者に託された。
 「技術をいろいろと教わりたかったが…」。先輩に指導を受ける機会を失い、手探りでカキを育てる。

 1960年代、海洋汚染などが原因で、浜田のカキ養殖は一時途絶えた。
 70年代半ば、若手漁業者8人が浜田のカキの復活を図った。音頭を取ったのが俊一さんだった。
 安全でおいしい生食用のカキを追求。研究機関などの助言を受け、塩素を使わない最新の蓄養法を採用した。当時は全国から視察が相次いだという。
 内湾で育つ浜田のカキは陸地から流れ出た栄養分を豊富に含み、味が濃いのが特徴。今年はぷっくりと実入りが良く、申し分のない出来だ。
 約40年前、亡き父たちが復活させ、地域の特産に育て上げたカキ。「先輩たちが一生懸命やってきたから、頑張って続けないと」
 復興という荷を背負い、一人で歩む道に課題は山積みだ。この先、どんな形でカキ養殖を続けていけるのだろう。答えの出ない問いを振り払うように、目の前の仕事に没頭する。
 「浜田のカキはうまい。よそとは違う」。常連客の弾むような声が力になる。(報道部・伊東由紀子)

●私の復興度・・・6〜7割
 自宅は再建できたが、収入は震災前の水準に戻っていない。浜田漁港の防潮堤や護岸の建設工事が計画より遅れ、カキのシーズンにもかかわらず、振動や騒音が続いている。これから1人、浜田のカキ養殖をどうやって続けていくのか。長期的な見通しが立たない。道筋が付かず、気持ちの余裕は持てない状態だ。


2016年12月11日日曜日


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