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<あなたに伝えたい>夫婦の記念指輪唯一の形見

唯一の形見となった一子さんの指輪を手に取る熊夫さん

◎中村熊夫さん(石巻市)から一子さんへ

 熊夫さん 石垣島に旅行した時に撮影したのが、手元に残る唯一の女房の写真です。撮影日はくしくも2011年2月11日。震災のちょうど1カ月前でした。
 石巻市で愛犬のシーズー・海(かい)のトリミングを終え、女房と帰宅直後、激しい揺れに見舞われました。「(地域住民の)安否確認に行ったら」。女房の最後の言葉になりました。
 区長だった私は、携帯電話を手に巡回。家に帰ろうとした時、「バリバリ」と音を立てて大津波が襲ってきて、女房が片付けをしていたであろう自宅をのみ込みました。
 間一髪で助かった私は、夕方から女房を捜し回りました。「なぜ、女房を残し安否確認に行ったんだ」「いや、区長の役目だった」。今も葛藤があります。
 59歳まで捕鯨船に乗っていました。自宅で過ごせるのは年に2カ月だけ。子どもの世話は任せきりで、苦労を掛けました。長男長女にとって女房はおやじ代わりでした。
 常々、「自分たちの面倒はいいから、好きな所で好きな仕事に就いて」と話していた女房。先日、仏壇に線香を上げて長男が結婚したことを報告しました。一番喜んでいるはずです。
 遺体が見つからないまま葬儀を出した翌月の11年9月、警察から遺体発見を知らせる電話がありました。
 遺留品に指輪が一つありました。捕鯨船乗りを引退した時、子どもたちが記念に作ってくれた夫婦の名前入りの指輪です。全て流された私にとって唯一の形見になりました。
 石巻市の仮設住宅で暮らして5年5カ月。集会所で話していると少しは気が紛れます。支え合いに感謝し、女房の分まで生きたいです。(日曜日掲載)

◎捕鯨船乗りの仕事支えてくれた女房

 中村一子(かずこ)さん=当時(63)= 宮城県女川町鷲神浜の自宅で夫熊夫さん(73)、長女美智子さん(43)と暮らしていた。編み物が得意で、冬になると熊夫さんに毛糸の帽子やセーターを編んだ。東日本大震災の津波で自宅が流失し、思い出の品々も流されてしまった。


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2016年12月18日日曜日


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