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<円谷幸吉>孤独な走者 にじむ焦燥感

自衛隊体育学校時代の円谷(右)と神立さん=1966年12月、東京都練馬区の自衛隊体育学校

 1964年東京五輪マラソンの銅メダリスト、円谷幸吉(福島県須賀川市出身)が自死の1カ月前に友人の神立修司さん(73)に宛てた手紙は何を物語るのか。手術しても好転しない腰の持病と、迫ってきたメキシコ五輪の代表選考レース。手紙からは焦燥感に耐える「孤独な長距離走者」の苦悩が透けて見える。
 腰の痛みは幼少期にさかのぼる。飼っていた秋田犬の散歩中に転んで股関節を脱臼し、関節炎になったという。その体に激しい練習を重ねた結果、椎間板ヘルニアは終生の病になった。
 「栄光と孤独の彼方(かなた)へ  円谷幸吉物語」(ベースボール・マガジン社)の著者で、円谷と親交があった元新聞記者三島庸道さん(86)=東京都在住=によれば、円谷は67年の術後、経過が芳しくなく、2度目の手術を検討していたという。
 退院後、円谷から「痛みが取れず、マラソンどころじゃない。もう一度手術を受けたい。医者を紹介してほしい」と依頼された。口止めされたため、今日まで口外しなかったという。
 当時の円谷は練習や生活面の環境でも追い込まれていたようだ。信頼していた自衛隊体育学校のコーチが札幌に異動したからだ。メキシコ五輪前の67年、けがを押して出たマラソンで惨敗が続いた。そんな中で神立さんら中央大時代の学友は、冗談を言い合うような心許せる存在だった。
 円谷がさらにショックを受けたとみられるのがマラソンのハイスピード化だ。67年12月3日の福岡国際マラソンで、デレク・クレイトン(オーストラリア)が世界で初めて2時間10分の壁を破る2時間9分36秒4という驚異的な記録で優勝し、2位の佐々木精一郎も2時間11分台の日本最高をマークした。円谷の自己ベストとクレイトンの差は7分近くまで開いた。
 円谷の好敵手でメキシコ五輪銀メダリストの君原健二さん(75)は「円谷君はこの記録に衝撃を受けたはず。選考レースが迫る中、目標と自分の置かれている立場のギャップに焦りが出ていたと思う」と語る。
 手紙がつづられたのは12月11日で、福岡国際の8日後。「走れそうにあっても、見通し暗いです」「自分の出来る範囲内でこれからコツコツ積み重ねていってみます」の文面に、痛々しい胸の内が垣間見える。
 円谷の兄、喜久造さん(84)=須賀川市在住=は「私たちも体育学校の最初のコーチも東京五輪で幸吉の体は限界と分かっていた。だから、家族は68年の正月はメキシコ五輪には触れないようにした」と話した。(スポーツ部・宮田建)

●円谷幸吉(つぶらや・こうきち)1940年5月13日、7人きょうだいの末子として福島県須賀川町(現須賀川市)で出生。須賀川市の小中学校、須賀川高を経て陸上自衛隊に入隊。八戸教育隊、第6特科連隊(郡山市)を経て自衛隊体育学校に1期生として入校。64年東京五輪で男子1万メートルで6位入賞、マラソンで銅メダル。自己ベストは2時間16分22秒8。67年3月、中央大第二経済学部を卒業。68年1月9日午前、自衛隊体育学校宿舎で頸(けい)動脈をカミソリで切って死んでいる姿で発見された。享年27歳。


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2016年12月19日月曜日


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