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<円谷幸吉>自死1カ月前 再起へ自ら鼓舞

「走れそうにあっても、見通し暗いです」と苦しい胸の内を率直に友人に打ち明けた円谷の手紙

 1964年東京五輪のマラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉(福島県須賀川市出身、1940〜68年)が、自死の1カ月前に友人に送った手紙が保管されていることが分かった。翌68年のメキシコ五輪出場を目指しながらもけがの回復が遅れて見通しが厳しいこと、ゼロから再出発する決意などが記されている。関係者は、自死前の心境を知る貴重な資料として注目している。
 手紙をもらい所有していたのは中央大第二経済学部(夜間)で同級生だった横浜市の無職神立(かみだて)修司さん(73)。円谷は67年8月に椎間板ヘルニアとアキレス腱(けん)の手術で都内の病院に入院し、11月上旬に退院した。
 手紙は見舞いや見舞状に対する返礼で封書に便箋2枚。退院1カ月後の12月11日に書かれている。投函(とうかん)は所属していた自衛隊体育学校(東京都練馬区)ではなく、大分県の別府駐屯地の温泉療養施設からだった。
 文面は体調の報告が中心だ。「づうっと以前程元気には走れませんが、お見舞に来ていたゞいた時とは見違える位元気になりまして…」と、心配する友人を気遣っている。
 ただ、「東京凡太君(漫談家の故東京ぼん太)の言葉じゃありませんが、走れそうにあっても、見通し暗いです」と本音の吐露も。翌年4月に五輪代表最終選考レースが迫る中、先行きを悲観する姿が見える。
 しかし、「手術後の経過は極めて良好」と書き、「とにかく時間をかけて、焦せらず一歩一歩進んでみます 今度こそ、本当の零からのスタートです」と自らを鼓舞する言葉も並ぶ。
 手紙の存在は円谷の死が来年1月で五十回忌を迎えるのを機に河北新報社が取材を進める中で分かった。神立さんや関係者によると、この手紙の公開は初めてとみられる。神立さんは「過去にもらった手紙と比べ、字が乱れている。やはり術後の回復が良くなかったのだろう。後半の文面は自分に言い聞かせる言葉だったように思える」と語る。
 円谷は68年1月9日、自衛隊体育学校の宿舎自室で、「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という家族宛てと学校関係者宛ての遺書を残し、自死した姿で見つかった。

◎友情感じる交流/「マラソンと日本人」の著書があるスポーツライター武田薫さん(仙台市出身)の話>
 自死のわずか1カ月前に学友と交流があったことを裏付ける貴重な資料だ。手紙の相手は陸上選手でないだけに、2人の交流に友情を感じる。椎間板ヘルニアやアキレス腱(けん)といった深刻な故障を抱えながら、「見通し暗いです」と当時の人気芸人の言葉に心情を託したところに円谷らしさがのぞいている。


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2016年12月19日月曜日


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