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<道しるべ探して>待ち続ける 何年後でも

笑顔で絹糸を巻く作業に精を出す久米さん=南相馬市小高区

 泣いて、泣いて、泣いて東京電力を憎んだ。
 東日本大震災の津波で浸水した家業の事務所を片付けていた時、福島第1原発が爆発する音を聞いた。福島県南相馬市小高区の久米静香さん(63)の、避難先を転々とする日々の始まりだった。

◎とうほく共創 第7部響き合い(下)涙する目

 相馬市では支援物資の配給などを手伝いながら、訪れた人たちに泣きながらふるさとの惨状を訴えた。
 一方で「小高に帰りたい」という思いは日増しに募った。2013年春に仲間とNPO法人「浮船の里」を設立。日中しか滞在を許されない小高区に集会所を開き、訪れる人をひたすら待った。とにかく誰かと話がしたかった。

 里芋をしごいて泥を落とす動作にちなみ、食事をしながら語り合う「芋こじ会」を始めてみた。避難を強いられた原発20キロ圏内の住民しか分からない苦しみ、東京電力や国への怒り、放射線への不安。互いに気持ちをぶつけ合った。
 言葉にして吐き出すことで、次第に落ち着きを取り戻していく。そして気づいた。「このままじゃ駄目になる」
 批判することに疲れた参加者の一声で、ようやくみんなが前を向いた。かつての小高で盛んだった養蚕に取り組むようになり、今年、絹糸を使ったアクセサリーの製品化にこぎ着けた。
 「『普通』ほど幸せでぜいたくなことはないと震災で学んだ」と久米さんは言う。
 小高区は今年7月に避難指示が解除されたが、戻った住民は震災前の1割に満たない。だから久米さんは待ち続ける。「何年後でもいい。戻ってきた人を『おかえり』と迎えたい」

 全村避難が続く福島県飯舘村。自宅の修繕や片付けの際、村民の多くが「宿泊体験館きこり」に立ち寄る。
 長く休館していたが、今年3月に再開した。まだ宿泊はできないが、村民限定で入浴施設を無料開放。福島市や伊達市の仮設住宅とシャトルバスが往復する。
 戻る人、戻らないと決めた人、そして道に迷う人。「お互いの消息を尋ね合う場所になっている」と総支配人の佐藤峯夫さん(61)は言う。震災から「この間に亡くなった常連客も少なくない。あまりにも長い月日が流れた」。
 村は来年3月、一部を除いて避難指示が解除される。悲しみをたたえた世間話が幾百も繰り返される館で、佐藤さんたちスタッフも本格営業の再開に向けて準備を進めている。


2016年12月26日月曜日


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