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<回顧みやぎ>大川小 未来のために検証を

大川小の児童遺族の話に耳を傾ける来訪者。あの日のように雪が降っていた=10日午前10時20分、石巻市釜谷

 東日本大震災から6年目を迎えた2016年。宮城県内では、交通インフラを中心に被災地の復興が進む中で、復興工事を巡る事件もあった。新市誕生や商業地集積に沸く一方、政治家のモラルが問われた1年でもあった。現場の記者が振り返る。

◎2016振り返る(8)大川小訴訟、控訴審へ

<真実が知りたい>
 3.11を想起させる雪が、石巻市大川小に舞っていた。今月10日、東日本大震災の語り部をしている児童遺族5人が校庭で呼び掛けた。
 「全ての人が『あの日』の子どもであり、先生であり、帰りを待っていた家族。当事者として向き合えば、絶対に悪い方向には行かない」
 県内外から訪れた約80人の市民が、真剣な表情で耳を傾ける。
 「あの日」の児童と教職員の姿を思い浮かべ、改めて一つの疑問を抱く。「なぜ、大川小だけ、避難が遅れたのか」
 目の前の裏山は、児童が授業で登っており、簡単に避難できた。津波情報は何度も届き、児童と教職員の一部も避難の必要を訴えていた。地震発生から津波襲来までの51分間は、死の恐怖と隣り合わせだったはずだ。
 真実が知りたい−。遺族が起こした訴訟は、切なる願いが出発点だ。
 遺族による情報公開請求や証言を基に練り上げた最終準備書面は356ページに及ぶ。「愛する子は帰らないが、死を無駄にしたくない」。分厚い書面に遺族の思いが凝縮されている。
 10月26日の勝訴を呼び込んだのは、執念とも言える遺族の地道な作業があったからだ。ただ、仙台地裁判決は遺族の「なぜ」に答えを示さなかった。

<和解示唆に疑問>
 判決後、市と県は早々と控訴方針を表明した。仙台高裁での審理は来年、始まるが、市と県は既に和解の考えを示唆している。ならば「なぜ、早々と控訴したのか」という疑問は消えない。
 亀山紘市長は、ただ一人助かった男性教諭に法廷で証言を求める意向を示し、従来の姿勢を大きく転換した。地裁判決は、被災直前、校舎内の安全を確認していたとして、男性教諭をただ一人免責した。「未来の教訓」の鍵を握る「なぜ」に答える環境は整いつつある。
 「意見が違っても、実はみんな同じ船に乗っている」。元中学教諭で大川小遺族の佐藤敏郎さん(53)が以前、話してくれた。
 「51分間や3.11前、何か命を救うきっかけはなかったか。誰かを責めることではなく、未来のために検証していきたい」と佐藤さんは言う。
 今は次の「震災前」であり、大川小の校庭から急ぎ学ぶべき点は無数にある。84の命を決して無駄にしないために、児童と教職員の声に耳を澄ませたい。
(報道部・斉藤隼人)

[メモ]東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は今年10月26日、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計約14億2660万円の支払いを命じた。市と県は判決を不服として控訴し、遺族も続いた。遺族が「児童の最期を究明する唯一の手段」と位置付けた、唯一助かった男性教諭(病気休職中)への尋問は見送られた。同小では、児童74人と教職員10人が死亡・行方不明になった。


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2016年12月27日火曜日


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