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<牧田明久>日本一の大舞台で苦労実る

巨人との日本シリーズ第7戦、4回に3−0とする左越えソロを放つ牧田。先発起用に応える値千金の一打で、球団初の日本一に貢献した=2013年11月3日、Kスタ宮城(現コボスタ宮城)

 東北楽天が創設された2005年度から在籍する最後の選手だった牧田明久外野手(34)が、今季限りで現役を引退した。経営難の近鉄がオリックスとの合併を発表したことに端を発した球界再編問題により04年秋、近鉄から新球団に入った。施設も戦力も不十分だった黎明(れいめい)期から地道に力を付け、13年には日本シリーズで本塁打を放って球団初の日本一に貢献した。引退後も仙台に根を下ろす牧田の野球人生は、チームの歩みそのものとも言える。牧田の12年をたどり、東北楽天の歴史を重ね見る。(浦響子)

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 「寄せ集め集団」と言われた東北楽天は2013年、ついに頂点に立った。エースの田中が24勝0敗と圧倒的な白星を積み上げ、ジョーンズ、マギーの両助っ人が主軸として活躍。創設9年目で初のリーグ優勝、日本一を果たした。
 未熟だったチームに野村監督が考える野球を浸透させ、星野監督が戦う姿勢をたたき込んだ。その中で、創設メンバーの牧田も存在感を示した。
 巨人との日本シリーズ第7戦。9番中堅で先発起用された。2−0の四回、左越えソロを放った。先発美馬、則本、田中と続く継投劇をもり立て、チームはそのまま3−0で快勝した。
 「このまま、試合が終わってほしくない」。九回、守備に就きながら牧田は強く感じた。人生最高の瞬間を味わっていた。
 「全ての監督に学びのきっかけがあった」と振り返る通り、多くの監督の下で成長した。肩は強かったが打撃が弱く、若手時代は「専守防衛の自衛隊」と野村監督にやゆされる守備固め要員。肘のけがを直そうと励んだ筋力強化がきっかけで、打撃の飛距離は一気に伸びた。ブラウン、星野両監督に長打力を見いだされ、強肩強打の外野手として開花していった。
 日本シリーズでの本塁打は、最下位だった創設期を共に戦った仲間にも特別な一発だった。「1年目からの苦労を一緒に乗り越えたマキ(牧田)が打ってくれた。あれで全て報われた気がした」。当時1軍打撃コーチ補佐としてベンチから見守った平石2軍監督は振り返る。


2016年12月27日火曜日


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